夏はウナギ 1200年前の「万葉集」に登場
夏バテに鰻を食べる、は1200年前から
実は縄文時代から食べられていた
ソクラテスの最後の晩餐にも登場 !?
江戸時代の平賀源内もびっくり
「土用の丑の日に鰻を食べる」が習慣になったのは、江戸時代に平賀源内がひろめたとして知られています。
しかし、源内はゆえなく夏にうなぎを食べようと言い出したわけではありません。もともと「夏バテには鰻でスタミナをつけよう」という風習があったのを、夏に売れない鰻を夏にも売れるようにと頼まれたため、「土用の丑の日」を鰻の日として利用したというお話し。平賀源内は今でいう、マーケティングの達人だったんですね。
実は夏バテに鰻を食べるという文化の歴史は古く、1200年前の万葉集にすでに登場しています。縄文時代の遺跡「浦尻貝塚」から、魚の骨や貝殻などと一緒にウナギの骨も見つかっているということなので、実際はもっと古くから身近な食べものだったようです。
『万葉集』
石麻呂(いはまろ)にわれ物申す夏痩せに良しといふ物ぞ鰻(むなぎ)取り食(め)せ
大伴家持 [ 巻16・3853 ]
『万葉集』巻十六には「戯笑歌」つまり人をからかって詠んだ歌が多く収められています。やせっぽちの石麻呂さんに詠みかけます。「石麻呂殿に申し上げます。夏痩せに効果てきめんということですぞ、鰻を捕って召し上がりなされ」。少ししゃっちょこばった言い方に、家持のいたずら心がうかがえます。石麻呂さんのほうもたぶん、からかわれていると知りながら、「鰻ねえ」なんて思ったりする。そこをすかさず「痩せに痩せているとはいえ、生きていけるなら儲けもの。はてさて、鰻を捕ろうとして川に流されなさるな」と、先ほど言ったことの揚げ足を取るように詠んでいます。
*鰻「むなぎ」と読む。ウナギの古い呼び方
万葉集 Q & A
Q1. 『万葉集』ってどういう意味?
A. 多くの歌を未来に伝えるためのものです。「万(多く)の詩華(詩歌)を集めたもの」とする説や「万代(永遠)に伝えられるべき歌集」とする説などがある。
Q2. どんな歌があるのか?
A. 恋の歌が半数以上。宮廷で詠まれた歌や労働歌まで内容はさまざまですが、半数以上は恋の歌です。
Q3. 「歌」というのは短歌のこと?
A. いまでもおなじみな短歌が中心ですが、長歌も多く残されています。もっとも多いのは、五・七・五・七・七音の短歌ですが、五・七・五・七を繰り返し、最後を五・七・七で締めくくる長歌や、五・七・七・五・七・七の旋頭歌などもあります。このように決まった形で、個人の感情を表現したようです。
Q4. どんな人が詠んだのでしょうか?
A. 天皇からさまざまな身分の人々です。天皇・皇族や貴族、下級役人だけでなく、兵士、農民などさまざまな人の歌が収められています。老若男女、身分の区別なく、誰もが歌の詠み手だったといわれています。
Q5. いつごろできたのか?
A. 1300年以上も前です。日本における現存最古の歌集で、奈良時代後半に完成したと考えられています。収められているいちばん古い歌は古墳時代のものとされますが、それが本当にその当時のものかは不明です。
Q6. 誰が編纂したのか?
A. 大伴家持(おおとものやかもち)を含めた多くの人たちです。『万葉集』の編纂者として有力なのは、1割以上の歌を詠んだ大伴家持ですが、複数の人が長い時間をかけて編纂に関わったと考えられています。
ソクラテスの最後の晩餐にも登場
塚田孝雄著『ソクラテスの最後の晩餐』に、哲学者ソクラテスが裁判にかけられ、処刑される日をどのように過ごしたかが再現されている。かつて彼の弟子だったクリティアスが右翼政治家となり、政敵をたくさん殺したあげくに失脚して殺されたため、ソクラテスは見せしめとして処刑されることに。
ソクラテスが処刑の日をどのように過ごし、毒杯をあおいだのかも再現される。友人や弟子からたくさんの差入れがあり、妻子が訪れ、牢獄のなかで宴会が開かれる。鰻の蒲焼き、ウツボ、タコなど豊かな海産物からなるメニュー、葡萄酒の銘柄や器まで推理している。
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