凧になったお母さん 野坂昭如
昭和20年夏、アメリカの空襲で火の海となった町の中
カッちゃんとお母さんは近くの公園に避難しますが ...
野坂昭如(のさかあきゆき)
1930年(昭和5年)-2015年(平成27年) 作家、歌手、作詞家、タレント、政治家。早稲田大学第一文学部仏文科。代表作は『おもちゃのチャチャチャ』、『アメリカひじき』、『火垂るの墓』など。主な受賞歴は日本レコード大賞作詞賞、直木賞、吉川英治文学賞、泉鏡花文学賞、講談社エッセイ賞など。2015年に心不全で死去。85歳没。
凧になったお母さん
『凧になったお母さん』は、野坂昭如の小説、およびそれを原作としたアニメ。戦争童話集の一作で、太平洋戦争の戦火の中で、我が子が脱水症状にならぬように、自らの水分を与え続けた母親の物語。初版は1983年。中学3年生の国語の教科書に記載された。
空襲におびえる神戸でお母さんと暮らすカッちゃん
港湾施設と軍需工場があるため、日々空襲におびえる神戸の町でお母さんと暮らすカッちゃん。お父さんは兵隊になって南方で戦っていた。
聞き分けのいいカッちゃんだったが、ときおり父親を恋しがってむずかることもあった。そんな姿にカッちゃんの命だけは何があろうと守り抜こうと決意するお母さんでした。
焼夷弾を落とされ近くの公園へ避難
ある日、ふたりの住む町にB29が来襲し、大量の焼夷弾を落とし始めます。燃え上がる家々。その炎に追われて逃げるお母さんとカッちゃんですが、お母さんは幼いカッちゃんを連れて遠くまで逃げることができません。
そんな中、カッちゃんはお母さんに連れられなんとか近くの公園に避難することができました。しかし、火は次第にふたりに忍び寄り、カッちゃんの体は熱さでカラカラに。水を探しましたがありません。「熱いよう」と訴えて意識を失うカッちゃん。
もうお母さんは目も見えなくなりました
そこで何とかカッちゃんを助けたいお母さん、滝のような自分の汗をカッちゃんの顔に塗りました。一時、カッちゃんの顔に潤いが戻ります。でも汗はすぐに出なくなりました。そしたらお母さん、何もしてあげられない自分が悲しくなったのでしょうか、涙が出てきました。
世の中に、どんな苦しい病気があるのか知らないけど、じりじりと火にあぶり殺されるなんて、これほどの苦痛はないだろう、どんなわるいことをしたというの、カッちゃんが。お母さんは、自分の気持ちを悲しい方へ悲しい方へ追いやり、そのつどあふれる涙をカッちゃんの肌へうつしてやりました。そして遂に涙も出なくなりました。煙のせいか涙が枯れたせいか、もうお母さんは目も見えなくなりました。
おやすみなさい 勝彦さん
おめめをつぶれば あなたのお国
怖いものは 何もない
おねむりなさい 勝彦さん
怖いものなど 見なくていいのよ
あなたはまだ 五つだもの
お母さんは、口から出まかせに唄い、本当にどうせ駄目なのなら、カッちゃんが寝ているうちに死んでくれればいいと思いました。
どうしても死ぬのなら 苦しみ少なく
どうしても死ぬのなら ねむりの内に
どうしても死ぬのなら 夢みている間に
どうしてもその分の苦しみは 私に与えて下さい
どうしても死ぬための おやすみなさい
どうしても死ぬための 子守唄を 私に与えて下さい
次第に意識が薄れていきます
意識がもうろうとする中、カッちゃんがお母さんの乳房を吸っているのを感じ、必死に乳房をわしづかみして母乳をしぼり出し、カッちゃんに塗ってあげます。しかし、やがて母乳も尽きてしまいます。
次第に意識が薄れゆく中、どこかにカッちゃんを潤してくれる水はないか、ミズミズと呪文のように繰り返すうち、お母さんの毛穴から血が吹き出し、抱きすくめるカッちゃんの体をしたたり流れます。血はどんどん吹き出し、満遍なくカッちゃんを覆い尽くしたのでした。
凧のように空に吸われ天女のように舞う
やがて火は衰えました。すべての水分を出し尽くして体がカラカラになったお母さんは風に吹き起され、凧のように空に吸われて天女のように舞いながら、やがて見えなくなってしまいました。
お母さん、どこへ行くの?
8月15日、終戦の詔勅(天皇のことば)が焼け跡の上を流れる少し前、カッちゃんの痩せおとろえた体も風に吹かれて空に舞い上がりました。お母さんが迎えに来てくれたのです。まるで二つの凧のようにお母さんとカッちゃんは真夏の太陽の輝く空いっぱいに、はばたき舞いおどりながら、どんどん高く昇っていきました。
06-1955