きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『キャンパスの雨』 三好京三

 

岩手の分校の小学校教師が
都会の大学(通信教育)へ入学
スクーリングで訪れた東京での奮戦記

 

 

キャンパスの雨 (文春文庫 (231‐7))

キャンパスの雨 (文春文庫 (231‐7))

 

 

 

あらすじ

 中年の分校の先生が、大学へのおもい断ちがたく、通信教育の夏季スクーリングでおくるキャンパス生活を、著者みずからの体験をもとに、スポーツ、実験、そしてほのかな恋情など、豊富なエピソードで彩りつつさわやかに描く。学ぶことの苦しみと、その後のよろこび  ―  あの学園での青春の日々が、なつかしく胸によみがえる。
 以下に、ほんの一部を抜粋してみた。

 

 

 

三度目の挑戦

 K大学通信教育部の入学試験は、つごう三度目であった。二度落ちていたわけではない。最初落ちて、二度目には合格したのだが、単位を一単位もとらずにいる間に年数が過ぎ、留年の手続きもしないまま、退学した形になっているのだ。それで、最初の入学試験から十三年目、三十四歳にしてあらためて受験し直しているのである。

 

卒論

「卒論は何にする?」
近代文学。とても古文は読めないもの」
「そう、わたしは江戸文学をやる。西鶴にするつもりだ」

「わたしも困っている。西鶴にしても近松にしても、多くの学者が何年もかかって調べているでしょう。その学者たちの見解をかいくぐって、独自の解釈をしろと言われても無理な話だ。何しろ、わたしはこれから西鶴を読み始めるわけだから」

 

キャンパスは雨だった

 卒業式の行われる三月二十三日は雨であった。
 朝食後も雨は降りやまず、信吉はハイヤーを呼んだ。卒業式は日吉の記念体育館で行われることになっている。
 運転手は行先を聞くと、
「きょうは日吉へのお客が多いんですよ」
 と言った。
「K大学を卒業するようなお子さんを持たれるなんて、お客さんはしあわせですよ」
「ええ、まあ」
 こたえて容子は信吉の腿をつついた。信吉はだまって苦笑している。晴れの卒業式なので洋服も新調して出てきたのだが、それは勿論学生服ではないから、たしかによそから見れば、子どもの卒業式に出席する父兄だと思うであろう。

 

執念、執念

「先生」
 後ろから声がかけられたのでふり向くと、ひたいの抜け上がった初老の男であった。英文科の講義を一緒に受けた実業高校の教師である。
「おめでとうございます」
「やあ、おたがい様。しかし、とうとうここまで来ましたなあ」
「英語がよく切り抜けられましたね」
 この大学の英語は特にきびしすぎると、受講者の中には悲鳴をあげる者があった。その英語は十単位が必修である。
「はっはあ」
 高校教師は甲高い声で笑い、それから声をひそめて、
「執念、執念」
 と言った。信吉は甥の亘から数学の特訓を受けたような努力を、きっとこの高校教師もしたのであろう。
「わたしも、数学が執念、執念ですよ」
 二人はあらためて握手を交わした。

 

大学生活は輝ける青春

 三十四歳で入学し、六年かけて四十歳で卒業した。文字どおりの中年大学生であった。喜劇じみた失敗もあったが、それなりの哀歓もあった。中年どころか、初老となった今は、やはりあの大学生活はわが輝ける青春であったと思う。大学に対する餓えがあった。それは必ずしも学問への渇望だけでなく、キャンパスとその雰囲気へのあこがれのようなものでもあったが、中年のわたしは、一日一日、しっかりとそれをとりこんでいた。そして首尾よく卒業したとき、わたしの若いころからの大学劣等感はけし飛んでいた。

 

 

 

 

 

 06-1455