きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『富嶽百景』 太宰 治 「富士には月見草がよく似合う」

 

苦しい時期の太宰治の心境を富士にたとえて語る
佳作『富嶽百景

 

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浮上のきっかけを掴む富士

 富嶽百景は、太宰が29歳のときの自身の生活を綴った私小説です。20代前半に華々しく文壇デビューしたものの、当時の太宰は私生活や作品づくりに問題を抱え、芥川賞も貰えず、幼馴染の女性と自殺未遂の末、断筆に入ってしまいました。そんな中、浮上のきっかけを掴むべく、師である井伏鱒二を頼って、甲州の御坂峠にある天下茶屋を訪ねます。

 

 富士と自分の心境を対比

 この小説には、十余りの富士がでてきます。しかし、単に山としての富士を描写した文章はひとつもなく、富士を書いているようで、実はすべて心境を描いています。つまり「富士山」と自分の心境、思いを対比させています。

富士 東京のアパートの窓から見る富士は、くるしい。冬にははっきりよく見える。真白い三角が、地平線にちょこんと出ている、クリスマスの飾り菓子だ。

富士 甲府市からバスにゆられて一時間。御坂峠に着き、この峠の天下茶屋から見た富士は昔から富士三景のひとつらしいが、あまり好かなかった。好かないばかりか軽蔑さえした。あまりに、おあつらえのむきの富士である。

富士 私は、部屋の硝子越しに、富士を見ていた。富士はのっそり立っていた。偉いなあ、と思った。「いいねえ、富士は、やっぱりいいとこあるねえ。よくやってるなあ。」富士には、かなわないと思った。

富士 おい、こいつらをよろしく頼むぜ、そんな気持ちで振り仰げば寒空のなか、のっそりと突っ立っている富士山、そのときの富士はまるで、どてら姿に、ふところ手して傲然とかまえている大親分のようにさえ見えたのであるが。

 結婚相手も決まり、甲府に戻ってきたときの太宰は、きっととても安心して平和な気持ちになっていたのではないでしょうか。そんな心境で眺めているとき、「富士山」は何処か懐かしく、やさしく、自分の子どもの頃を思い出させる「酸漿(ほおずき)として映ったのではないか。


酸漿(ほおずき)のたとえ

 最後の「ほおずきに似ていた」の象徴するものとはなんだろうか。ほおずきは中の実を抜いて鳴らす遊びに使われる。たとえば、遊女がほおずきで遊ぶ姿はガラの悪い女という意味に。花言葉の「偽り」と関係しているのかもしれません。
 冒頭で浮世絵の富士が嘘っぱちであると太宰はこきおろしていますが、これは評判のほうが高すぎる、そう考え富士山は大嫌いなのです。なぜなら、世間のだれもが認める美しさだからです。わたしはそんな美は認めないと。
 しかし、石原美知子とのお見合いを経て太宰は変わっていきます。最後には富士は、ほおずきなのでした。あんなに大きく見えた富士山(つまり世間)というものが、案外たいしたことはない、ちっぽけなものだったと気づくのです。そして、富士山にさよならするとともに、世間に対して突っ張っていた自分ともサヨナラするのです。
Yahoo! 知恵袋より)

 

富士には、月見草がよく似合う

 「三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすくっと立っていたあの月見草はよかった。富士には、月見草がよく似合う」
 月見草のような小さな存在であっても自分というものをしっかり持っていれば、富士の山と比べても見劣りしない ...

 苦しい時期を乗り越えようと旅に出た太宰治。富士の見える茶屋にて人々の温かさや善意・好意を受け、新たな出発の過程を描いた。太宰自身と小さな存在の月見草を重ね、富士に向かって真っ直ぐに生える月見草のように生きようとする、前向きな太宰治の気持ちが込められているのでしょうね。

 

ピース・又吉直樹太宰治の感覚は芸人的」

 井伏氏の仕事も一段落ついて、或る晴れた日にふたりで三ツ峠へのぼった際の出来事でした。頂上へ着くも霧で何も見えず、井伏鱒二がつまらなそうにして「屁をこいた」シーンがあります。それに対して、芸人・小説家のピース・又吉直樹さんが語っています。

(本文)「井伏氏は、ちゃんと登山服着て居られて、軽快の姿であったが、私には登山服の持ち合わせがなく、ドテラ姿であった。(中略)とかくして頂上についたのであるが、急に濃い霧が吹き流れて来て、頂上のパノラマ台という、断崖の縁に立ってみても、いっこうに眺望がきかない。何も見えない。井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆっくり煙草を吸いながら、放屁をなされた。いかにもつまらなそうであった」

 おもしろい話を人に伝えるときに、実際起こったのと同じことを書いても、うまいこと人に伝わらへん。実際にその場におった人よりどうしても質が落ちるじゃないですか。そこで起こったことと同じだけの感動を呼びおこすには、そのための仕掛けが絶対に必要で、たとえば『富嶽百景』で太宰は、井伏鱒二さんが放屁したと書いてるけど、実際は退屈そうに岩に座っていただけなんですよ。それをそのまま伝えても、そのときの感じは伝わらない。 
 よく〈話を盛る〉って言いますけど、その盛り方が嘘じゃないっていうか、盛らへんほうが嘘になる。盛ることによって、その場にいたのと同じことを感じさせようとしてる。たぶん太宰は井伏さん見て、おもしろかったんだと思うんですよ。なに、この人。頂上まで来て、こんな退屈そうにして ...  ここで屁をこくぐらいが井伏さんのその時の感じが明確に伝わる。そのための工夫やったんじゃないか。井伏さん、否定してますからね。俺は屁はこいてないって。
ダ・ヴィンチニュースより)

 

走れメロス (新潮文庫)

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読んでおきたいベスト集! 太宰 治 (宝島社文庫)

読んでおきたいベスト集! 太宰 治 (宝島社文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『源氏物語』② 紫式部 人生の指南書

 

恋愛小説としてだけじゃない
権力者たちの教養書
人生の指南書

 

源氏物語』の概要とあらすじ

 全54帖にわたる長編小説で、それぞれの帖に「桐壷」や「帚木」「空蝉」といったタイトルがつけられています。主人公となるのは、光源氏。才能あるイケメンで、しかも天皇の子。しかし、母の身分が低かったがために皇族にはなれず、臣下となり「源」姓を賜った過去を持つ。光源氏の恋を中心にストーリーは展開していくのですが、とにかくモテるうえ、ガッツリ肉食系。義理の母や、義理の母の姪、人妻、通りかかった家の娘など、数多くの女性と愛を交わしていく。現代日本の倫理観では完全にアウトですが、そこは色恋に奔放な平安時代。ドラマチックすぎるストーリーを通して、人を愛する慶びと悲しみが浮き上がってくるのです。
 やがて光源氏天皇に准ずる地位まで上りつめ、我が世の春を謳歌。しかし時は残酷なもの。妻が不義の子を産み、愛する人が去り、という悲運つづきに光源氏は失望して出家の準備をします。物語の中心は妻が生んだ血のつながらない息子、薫の恋愛模様へと移り、彼の恋は無情にも実らぬまま、一大巨編は幕を閉じるのでした。

 

君子論としての『源氏物語

 日本史上もっとも優美で平和だった400年、平安時代の豊かで充実した生活を回復できる黄金のテキストとして読み継がれました。
 『源氏物語』は、どうしても長編恋愛小説といわれていますが、時代の権力者たちが君子論としても読んでいるんです。平清盛鎌倉時代末期の後醍醐天皇(在位1318~1339年)、室町幕府3代将軍・足利義満豊臣秀吉徳川家康もそうですね。

 『源氏物語』を手がかりとして、途絶えていた宮中行事が復活した例もあります。そしてその行事は、現在の皇室にも受け継がれているというから驚きです。

 物語が、政治のお手本として読まれていきます。それに加えて、一度は臣下に下りながらも天皇に准ずる位まで上りつめた光源氏をモデルケースとしたんですね。清盛も義満も家康も武家の出身。彼らが権力を手にし、公家と渡り合うためには、やはり教養が必要だったのでした。

 自分に地位がないなら、光源氏になればいい。『源氏物語』は、教養と同時に権力者としての生き方も授けてくれる、ありがたいリーダー論ともなったのです。特に執心だったのは、江戸幕府を開き、久しぶりの平和を日本にもたらした徳川家康。『源氏物語』をモチーフとする能を得意とし、豊臣家との天下争いのまっただなかに写本の伝授を4回も受けている。王朝文化の保護を天皇や公家にアピールすると同時に、徳川家がすべての王朝文化をコントロールしていくことを宣言することが目的だったといいます。

 

受け継がれるストーリー

 『源氏物語』は読み手によって、さまざまな表情を見せる小説でもあります。教養書としての性格を基本としながらも、権力者にとってはリーダー論、年頃の女性にとっては恋心の指南書。江戸時代は大名の子女の嫁入り道具となり、当時の女性の生き方、仕え方のハウツー本としても活躍しました。
 時代ごとに絵巻物や能、歌舞伎、落語、春画など他メディアのモチーフとなり再生産されてきたというのも特徴的です。

 『源氏物語』はその都度、リアルタイムで読まれてきました。現代でも宝塚の舞台や歌舞伎、映画、マンガになっています。壮大なスケールで描かれるストーリーの緻密さと面白さが、受け手の心を掴んで離さない。本来の形である文学にもどっても、谷崎潤一郎瀬戸内寂聴林望といった名文の担い手たちが、自分の言葉で物語を紡ぎなおし出版しています。

 

昔も今も変わらない人生の指南書

 古文のままで読むのも、もちろん大切ですが、なぜ千年も読み継がれてきたのかを考えると、現代語訳でもほかのメディアでもいいと。描かれている人間くささや生き方は、現代と共通している部分も多い。
 男性から和歌を贈られても、気に入らないと ” 既読スルー ” しちゃうんです。返事をするにも、がっついているように思われたら嫌だからとタイミングを図ったり。ライバルと鉢合わせたり、相手選びに失敗したり。
 平安も平成も変わらない、人間模様と恋の駆け引き。『源氏物語』には、先人たちが拠りどころとした生きるためのヒントがギュッと詰まっているのです。恋愛や人生に迷ったとき、世界初の長編小説に触れてみてはいかがでしょうか。

 

JAPAN CLASS 引用

 

源氏物語 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

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マンガでわかる 源氏物語 (池田書店のマンガでわかるシリーズ)

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アルチンボルト展 国立西洋美術館(東京・上野)

 

アルチンボルトの顔芸は
計算ずくの奇妙さ

 

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国立西洋美術館

 

葛飾北斎歌川国芳とアルチンボルト

 雨の降る平日にもかかわらず、国立西洋美術館は大勢の人。入場者が30万人を超えたそう。江戸末期の葛飾北斎歌川国芳のだまし絵を思い浮かべるが、表現の自由を求め、風刺したものに対し、こちらは宮廷画家として知識階級に好かれたというのが面白い。

 

ハプスブルク家の宮廷画家として

 宗教画や肖像画に特筆する才はなかったが、博物学的な知識を駆使し、独自の肖像画を編み出した。緻密に描いた動植物などパズルのように組み合わせて人の顔を構成する。一度見たら忘れられないその奇抜な絵画が、当時の知識階級に面白がられ、ハプスブルク家に宮廷画家として重用された。

 

ジュゼッペ・アルチンボルト(1527〜93年)
 イタリア出身。野菜や魚、書物などを組み合わせた肖像画で知られる奇想の画家。16世紀後半のヨーロッパでハプスブルク家の宮廷画家として活躍した。世界各地の美術館が所蔵するアルチンボルトの油彩十数点や素描を中心に、関連する作品も含め約100点を展示。

 

 

 

 

樋口一葉 『たけくらべ』 奇蹟の十四か月

 

森鴎外幸田露伴も絶賛
奇蹟の十四か月

 

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)

 

 

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 樋口一葉(ひぐちいちよう)
1872年(明治5年)東京内幸町生まれ。本名は奈津。学問好きだった父の影響を受けてか、一葉も少女時代から読書好きで文才に長けていたという。14歳で女流歌人・中島歌子の私塾「萩の舎(はぎのや)」に入門。父が事業に失敗して多額の負債を抱えたまま死去したため、一葉は一人で家計を支えることを余儀なくされていたが、萩の舎の姉弟子の成功を知り、女流作家として執筆活動で生計を立てることを志す。
小説家の半井桃水に師事し、自らが体験した貧困生活をもとにした『大つごもり』のほか、『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』などの傑作を発表する。こうして我が国初の女流職業作家となった一葉だが、経済的に恵まれることは最後までなく、肺結核で24歳の短い生涯を閉じた。

 

 

不朽の名作「たけくらべ

 古い浅草吉原の四季のなかに、美登利、信如、正太郎ら少年少女の日常と幼い恋心から大人に移り変わる心理を、女流作家ならではの肌理細かな観察と流麗な筆致で浮き彫りにした、明治文学不朽の名作「たけくらべ」。

 

たけくらべ』あらすじ

 主人公の美登利(みどり)は吉原に住んでいる14歳の女の子で、ゆくゆくは遊女となり客をとっていく身。美登利は正太郎という少年とよく遊んでいましたが、心の中では同じ学校の寺の息子の信如(のぶゆき、しんにょ)が気になっていた。
 ある日、運動会で木の根につまづいた信如を見た美登利は、自分のハンカチを信如に渡そうとします。それを見ていた同級生が、ふたりをからかったので信如は噂になるのを嫌がって、美登利を無視してしまいます。その態度を見た美登利は信如に嫌われているのだと思い込んでしまいます。そんな美登利に、ある出来事がおこります。髪を島田髪に変えられてしまったのです。
 それは美登利が大人になって吉原で遊女になる準備が進んでいるということ。複雑な気持ちの美登利はそれ以来、正太郎とも遊ばずに家で引きこもりがちになってしまいます。そんな日々を送っていた時に、美登利の家に水仙の造花が投げ込まれてきました。
 誰が、そんなことをしたのかは分からなかったのですが、美登利は水仙をみて懐かしい気持ちになって、その水仙を部屋へ飾ります。後から聞いた話ですが、その翌日は信如が吉原から離れた仏学校へ行く日だったのです。
 のちに美登利は遊女に、信如は僧侶になってしまいます。大人になってしまえば、出会うことのないふたり。そんなふたりの思春期の微妙な気持ちが描かれた作品です。淡く儚い幼いころの恋。美登利のこれからの運命を思うとあまりにも切ない物語です。
 一葉は、男とか女とか、幸せとか、生きざまとかではなく、さらに一人の人間、ひとつの社会、ひとつの時代というものを超越した何かを見つめていたのかもしれません。
 

奇蹟の十四か月

 樋口一葉を「明治が生んだただ一人の天才」と小島政二郎は書いた。『大つごもり』から『たけくらべ』完結までの”奇蹟の十四か月”を書き上げ、そのままたった24歳で逝ってしまった一葉。森鴎外幸田露伴斎藤緑雨の三人は「文学界」に断続的に発表されていた作品を絶賛した。
 一葉がなぜ小説を書いたか、それは貧窮のためでした。家計が倒壊し、エリートコースを歩んでいた父親の事業が失敗し、家督を継ぐべき兄が死に、つづいて父親も病没、一葉は母親と妹を抱えて生計に走らなければならなかった。裁縫・洗い張りで生計をしのぐのが精一杯で、それなら親友の田辺花圃が小説で収入を得たというので、ひょっとしたら自分も家計を稼げるのではないかと思った。発奮して小説を書くが、なかなか評判に至らない。また駄菓子屋を始めるもうまくいかなかった。
 明治27年12月に『大つごもり』を発表、その1か月後には『たけくらべ』の連載を始めた。”奇蹟の十四か月”の出奔だった。

 

 

 

 

 

 

 

憲法を知ると世の中の見方が変わる

 

知らないでは済まされない
憲法の内容や成り立ち

 

国の基本を定めたルール

 憲法は、国の基本を定めたルールです。法律とは違います。どこが違うのか。法律は国民が守るべきルール。しかし、憲法は国の仕事をする人が守るべきルールです。
 国の権力は、日本では、立法(国会)、行政(内閣)、司法(裁判所)の3つに分かれ、これが三権分立です。それぞれの仕事をする人は、権力を行使することになるので、憲法を守らないといけません。

 

国民の人権を守るため

 なぜ憲法は、私たち国民ではなく、国が守るべきルールなのか。これは憲法とは何かを考えることにつながります。憲法の本質は、国を縛ることです。国とは、国家権力のこと。日本でいえば、三権(立法権、行政権、司法権)を担う人が、憲法に縛られるのです。なぜ、縛るのか。それは、憲法で権力を縛らないと、私たち国民の人権が侵害される危険があるからです。実際、戦前の日本でも、世界の歴史をみても、かつては国家権力(皇帝や王様など)によって、国民の人権が制限を受けていた時代がありました。

 

憲法の本質を知ること

 国民の人権を保障するために、国家権力を縛るルール。これは「近代立憲主義憲法」とも呼ばれます。日本の憲法では、その9条が平和主義を定めて戦争を放棄していますね。これは戦争に負けた歴史から刻印されたものです。もちろん、平和主義はきわめて重要です。しかし、それだけにとらわれず、憲法の本質を知ることが重要です。
 将来、日本でも国民投票憲法改正の是非を問うことがあるかもしれません。その1票が私たちにもあるのです。それは「主権者としての国民」に認められた1票なのです。

 

日本がどんな国か知りたい

 憲法を知ると、国のしくみがわかります。その国の歴史も垣間見ることができます。世界の憲法と日本の憲法を比較すると、日本がどんな国なのかもわかってきます。必然的に、戦争などの負の歴史も目撃することにもなります。その延長に、いまの私たちがいることもわかってくるでしょう。憲法を学ぶと、世の中のしくみがわかってくるのです。

 「でも憲法って条文がたくさんあって、むずかしそう」と尻込みしてしまいそうですが、下記に紹介した書籍は、憲法について非常にわかりやすく説明されています。日本と天皇の関係や、戦争の放棄、自衛隊の誕生、集団的自衛権憲法改正などについて、中学生にもわかるように書かれています。

 

『マンガでわかる日本国憲法』引用

 

マンガでわかる日本国憲法 (池田書店のマンガでわかるシリーズ)

マンガでわかる日本国憲法 (池田書店のマンガでわかるシリーズ)

 

 

 

『ぼくはこんな本を読んできた』② 立花隆の読書論

 

 本書には知的好奇心のすすめや読書論、書斎、仕事場論などについて語られ、また立花隆の中学生のときの作文(読書記録)も披露されています。今回は本書から「見当識」という言葉についてと、紹介されている本のなかで『豊臣秀吉朝鮮侵略』を取り上げます。

 

見当識」という言葉

 医学の世界には「見当識」という言葉があります。病院で患者の意識レベルがどんどん低くなっていったときに、それがどのくらいのレベルにあるかを判断するために、まず、見当識の調査をやるんですね。これは非常に単純な質問で調べられるんです。患者さんに「ここはどこですか」と聞く。それから「あなたは誰ですか」「いまはいつですか」と聞く。そういう3つの質問をするんです。これが見当識の調査なんです。

 「ここはどこ」というのは、空間的に自分を定位づけるということですね。「あなたは誰」というのは、50億の人間が住んでいる人間社会の関係の中で、自分という人間を定位づけるということです。この3つの定位づけをきちんとできる人が、正常な意識を持った人間とされるわけです。

 この質問に答えられずに、「ここはどこ」と聞いても、そこがどこだか答えられない人は、意識レベルがかなり低下していると判断されるわけです。病院の検査では「ここはどこ」と聞いて、「〇〇病院」と答えればいいことになっています。また「あなたは誰」という質問には名前を言えばいいし、「いまはいつ」という質問には日時を言えばいい。けれどもそれが、本質的な意味でこれらの質問への答えになっているかというと、まったくそうではない。「ここはどこ」という問いをどんどん問いつめていったら、この宇宙というのはどういう世界なのかということを考えざるを得ない。また「あなたは誰」という問いにも、本質的に答えようと思ったら、無限の説明が必要になるわけです。「いまはいつ」というのも同じことです。そもそも時間というものは、人間にはぜんぜんよくわかってないわけですね。

 実はこの3つの見当識に対する答えというのは、人類が人類史の総体をかけて、なんとか探り出そうとしてきた目標そのものなんですね。本質的な意味では、その答えはいまだ得られていない。得られていないからこそ問い続けて、どんどん知的欲求を膨らませていく結果になったわけです。この3つの質問に、本当に深いレベルで答えようとしてきたことが、われわれのすべてのサイエンス、文化、文明というものをつくってきた原動力になってきたのではないかと思います。そういう意味において、知的欲求を持つということは、ヒトの社会を支える基盤そのものであり、一人ひとりの個人にとっても、これはものすごく大事なことなんです。

 

豊臣秀吉朝鮮侵略

 戦争責任問題などで、日本と韓国の間に摩擦が起きるとすぐに、向こうの人の反応に、日本は豊臣秀吉以来朝鮮を侵略してきた侵略国家だというような声が出てくることが多い。何もそんな昔のことまで引っぱり出さなくてもいいではないかと思っていたが、本書を読むと、韓国人の間にそういうこだわりが残っているのも無理はないという気がしてくる。

 秀吉の「尽く彼国人を殺し、彼国をして空地となさん」(小早川秀秋に与えた指示)という命令に従って、どんどん朝鮮人が殺されたのである。朝鮮人を殺した数が戦功となった。その数を確認するため「鼻切り」が行われた。切った鼻を軍目付のもとに差し出し、数を確認して鼻請取状をもらった。その鼻請取状が今でも残っており、写真版で収録されている。鼻は塩漬けにして石灰をまぶし、壺に詰めて秀吉のもとへ送られた。鼻は死体から切り取っただけでなく、生きてる人の鼻もどんどん切った。そのために「其の後数十年間、本国の路上に鼻無き者、甚だ多し」と当時の資料にある。

 また人狩りもさかんに行われた。朝鮮人強制連行がこの当時から行われたわけだ。朝鮮から撤退する日本軍の船には、日本兵と、強制連行される朝鮮人がほぼ半々だったという。それが本当なら、朝鮮遠征の日本軍は約14万人(第二次出兵)だったから、大変な数の朝鮮人が連行されたわけだ。連行された朝鮮人は主として農業労働者として働かされたが、かなりの数がポルトガルの奴隷商人に売られ、ヨーロッパに転売されたという。

 追記(耳塚・鼻塚)
 日本軍は戦果の証拠として朝鮮兵士や民衆の鼻だけでなく、耳もそいで秀吉のもとへ送り届けた。そのとき送られた2万人分の鼻や耳が、京都の豊国神社近くの耳塚に埋められたという。

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京都市東山区(耳塚・鼻塚)Wikipedia


 
 

ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論 (文春文庫)

ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論 (文春文庫)

 

 

 

『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治

 

鉄道の旅を通して
みんなの幸せのために尽くすことが
生きる意味と悟る哲学的物語

 

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宮沢賢治童話の代表作

銀河鉄道の夜』は、宮沢賢治の童話作品。孤独な少年ジョバンニが、友人カムパネルラと銀河鉄道の旅をする物語で、代表作のひとつです。

 

銀河鉄道の夜』の最終形と初期形

 宮沢賢治は死後、その代表作となる『銀河鉄道の夜』に、度重なる推敲を重ね、4つの形の原稿を遺しました。研究者の綿密な調査の結果、推敲が最も後のものと思われるものを最終形とし、その前のものを[初期形]と呼びます。この初期形の第三次稿には、そのおしまいにブルカニロ博士なる人物が登場しています。
 賢治の死によって推敲は止まり、夥しい数の原稿のまま遺されたその作品群は、いまもなお多くの謎と魅力にみちています。

 

主な登場人物

・ジョバンニ
 主人公の少年。貧しい家庭に育ち、母は病に臥せっている。家計を支えるため、学校に通いながら働く、健康かつ孤独な少年。父親は長らく家を不在にしている。

・カムパネルラ
 ジョバンニと同じ学校のクラスメイト。ジョバンニとは反対の裕福な家庭に育つ。ジョバンニが家庭環境のことで同級生にからかわれるのを気にしつつも気の毒に思い、見ているしかできない。

・ザネリ
 ジョバンニとカムパネルラの同級生。ジョバンニの父親の悪い噂を持ちだして、ジョバンニをからかっている。

・ブルカロニ博士
 初稿から第3次稿まで登場したが、第4次稿では全てのシーンがカットされた。銀河鉄道内では、どこからともなく声が聞こえるか、乗客として現れる。ジョバンニにものの見方や考え方などを指し示す。

 

銀河鉄道の夜』のあらすじ

 父親のことで同級生たちにからかわれている孤独な少年ジョバンニは、ある夜ひとりで星空を眺めていました。すると「銀河ステーション」というアナウンスとともに、まぶしい光に包まれ、気が付くとカムパネルラとともに銀河鉄道に乗り込んでいたのでした。二人は銀河鉄道に乗って、星を巡る旅を楽しみ、そこでさまざまな考えや生き方をする人々に出会います。

 旅の終わり、二人は旅の途中で聞いた「本当の幸い」のために一緒に歩んでいこうと誓うのですが、カムパネルラは意味深な台詞を残して、いつの間にか姿を消してしまいます。夢から覚め、ひとり草むらで目を覚ましたジョバンニが、町へ向かうとカムパネルラが川に落ちたザネリを助けようとして溺れてしまい、行方不明になったことを知ります。そしてその瞬間、カムパネルラの言葉が何を意味していたのかを悟るのです。自分は死んでしまったけれど、友を救うという良いことをした。だからきっと僕が死んでしまってもお母さんは許してくれるだろう ...

 カムパネルラの父親はジョバンニに、ジョバンニの父がもうすぐ帰ってくるという手紙が来たことを告げる。ジョバンニが、父からの知らせを持って母のもとへ帰るところで物語は終わります。

 

哲学的な生きる意味を示唆

 孤独で世界に居場所のない少年ジョバンニが、銀河鉄道の旅を通して、みんなの幸せのために尽くすことが生きる意味であると悟るまでを書いた、哲学的なストーリーです。一緒に旅をするカムパネルラは、自らの命を犠牲にして友人を救いました。この姿が、ジョバンニに生きる意味を気付かせるきっかけになります。
 さらに、ジョバンニにとって大きな孤独の原因であった父親が帰ってくるという知らせを受け、物語序盤では世の中に居場所のなかったジョバンニが物語の最後では、生きる意味と自分の居場所を取り戻して、自分の家へと帰る姿が描かれています。