きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

樋口一葉 なぜ「たけくらべ」という題名なの?

 

互いに背伸びしあいながら、大人になっていく情景を描いた、樋口一葉の傑作

 

たけくらべ (ホーム社漫画文庫) (MANGA BUNGOシリーズ)

たけくらべ (ホーム社漫画文庫) (MANGA BUNGOシリーズ)

 

 

樋口一葉(ひぐちいちよう)

1872-1896。東京内幸町生まれ。本名奈津。1886年に中島歌子の歌塾「萩の舎」に入塾、才能を見いだされる。1891年から東京朝日新聞の記者、半井桃水の指導を受け小説を書き始め、翌年に文芸雑誌に処女作『闇桜』を発表。生活苦に苛まれながら、次々と代表作である「たけくらべ」などを執筆。肺結核でわずか24年で死去。その早すぎる死を惜しまれた。『大つごもり』『にごりえ』『十三夜』『わかれ道』など。

 

たけくらべ

 光と影が交錯する街・吉原。大店の遊女の妹で、快活な少女・美登利と、寺の跡取りで優等生の少年・信如の初恋を描いた樋口一葉の傑作。

 

なぜ「たけくらべ」という題名なのか

 吉原を舞台にした、少女と少年の初恋を描いた樋口一葉の傑作、「たけくらべ」。背比べ(丈比べ)の意味ですが、なぜこの内容で題名が背比べなのだろうか。
 それは、すくすくと成長していく子ども時代を意味していますね。この物語では、「子どもたち」はいやおうなく、大人の世界に入っていきます。その成長のさまも「背たけ」を「比べ」あうように、こちらが少し大人びたと思ったら、むこうがそれをずっと追い越していた、というように、互いに背伸びをしあいながら大人になっていく、そのような情景を切なく描いた小説になっています。

 

あらすじ

 主人公の美登利(みどり)は吉原に住んでいる14歳の女の子で、ゆくゆくは遊女となり客をとっていく身。美登利は正太郎という少年とよく遊んでいましたが、心の中では同じ学校の寺の息子の信如(のぶゆき、しんにょ)が気になっていた。

 ある日、運動会で木の根につまづいた信如を見た美登利は、自分のハンカチを信如に渡そうとします。それを見ていた同級生が、ふたりをからかったので信如は噂になるのを嫌がって、美登利を無視してしまいます。その態度を見た美登利は信如に嫌われているのだと思い込んでしまいます。そんな美登利に、ある出来事がおこります。髪を島田髪に変えられてしまったのです。

 それは美登利が大人になって吉原で遊女になる準備が進んでいるということ。複雑な気持ちの美登利はそれ以来、正太郎とも遊ばずに家で引きこもりがちになってしまいます。そんな日々を送っていた時に、美登利の家に水仙の造花が投げ込まれてきました。
 誰が、そんなことをしたのかは分からなかったのですが、美登利は水仙をみて懐かしい気持ちになって、その水仙を部屋へ飾ります。後から聞いた話ですが、その翌日は信如が吉原から離れた仏学校へ行く日だったのです。

 のちに美登利は遊女に、信如は僧侶になってしまいます。大人になってしまえば、出会うことのないふたり。そんなふたりの思春期の微妙な気持ちが描かれた作品です。淡く儚い幼いころの恋。美登利のこれからの運命を思うとあまりにも切ない物語です。
 一葉は、男とか女とか、幸せとか、生きざまとかではなく、さらに一人の人間、ひとつの社会、ひとつの時代というものを超越した何かを見つめていたのかもしれません。
 

 

 

 

 

 

 

 

『手から、手へ』 「一万円選書」に選ばれた感動の一冊

 

NHK『プロフェッショナル仕事の流儀』での、いわた書店『一万円選書』に選ばれた一冊

 

手から、手へ

手から、手へ

 

 

『手から、手へ』
詩 池井昌樹
写真 植田正治
企画構成 山本純司

 

「やさしい子らよ」と
父母の間にくりかえされる
永遠のものがたり
ことばと写真の奇跡の出会い
(本書帯より)

 

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不幸な生をあゆむだろう

ページ冒頭から、いきなりこうはじまる

 おまえたちは
 やさしい子だから
 おまえたちは
 不幸な生をあゆむだろう


そしてこう続く

 石ころだらけな
 けわしい道をあゆむだろう
 どんなにやさしいちちははも
 おまえたちとは一緒にいけない
 やがてはかえってしまうのだから
 たすけてやれない

やがて瞳の凍りつく日がおとずれても

 いまはにおやかなその頬が痩け
 その澄んだ瞳の凍りつく日がおとずれても
 怯んではならぬ
 憎んではならぬ
 悔いてはならぬ

 

 本書は冊子のように薄い。しかし、重みのある一冊に。それは、親が子に向けた、これから来るであろう人生の厳しさに愛をもって答えている。そして、絵本という体裁を、植田正治のモノクロ写真が彩っているのです。

 

 

「いわた書店」に 3,000人もの注文

 先日、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀』で取り上げられた、北海道砂川市にある「いわた書店」。一見、普通の小さな本屋さんのようだが ... あるサービスが人気で全国から注文が殺到しているという。それは1万円選書という1万円分のおすすめの本を送るサービスなのです。
 利用者に最近読んだ本と評価を聞き、職業やよく読む雑誌などの簡単なアンケートに答えてもらう。そのアンケートをもとに読めば楽しんでもらえる本を推測して1万円分のおすすめの本を送ってもらえる。のちにこのサービスを利用したい人が続出した。

 

面白そうな本を見繕って送ってくれよ

 始まりは10年前、高校同窓会の先輩の前で書店業界の厳しい状況を話した時のことです。「それじゃあ面白そうな本を見繕って送ってくれよ」と数人の先輩から1万円を渡された。
 病院長、裁判長、社長といった面々でした。緊張し、なぜこの本を薦めるのか、手紙を添えて送りました。高裁判事だった先輩には、「百年以上前の日本に来た外国人が何を感じたのか ...  今後の百年に何を残すべきかのヒントがあります」と渡辺京二の『逝きし世の面影』を強く薦めた記憶があります。

 

 

 

 

 

 

大江健三郎の読書論 " time no longer "

 

本書は講演の記録集です
独自の読書論も公開しています

 

 

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年愛媛県出身。小説家。東京大学文学部フランス文学科卒。大学在学中の1958年、「飼育」により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。サルトル実存主義の影響を受けた作家として登場し、戦後日本の閉塞感と恐怖をグロテスクな性のイメージを用いて描き、石原慎太郎開高健とともに第三の新人の後を受ける新世代の作家と目される。

1994年、日本文学史上において2人目のノーベル文学賞受賞者となった。代表作に『死者の奢り』『万延元年のフットボール』『新しい人よ眼ざめよ』『取り替え子』や、知的障害者である長男(作曲家の大江光)との交流といった自身の『個人的な体験』など多数。映画監督の伊丹十三は義兄。

影響をうけたものは、ジャン・ポール・サルトルカミュ、ピエール・ガスカール、ドストエフスキー、フォークナー、ウイリアム・ブレイク、イェイツ、T・S・エリオット渡辺一夫山口昌男など。(Wikipedia)

 

本書は講演の記録集ですが、自伝のようでもあり、独自の読書論についても語られています。大江健三郎はむずかしいというイメージがありますが、平易な言葉により、はじめての人でも読みすすめられます。ただし、結構深いのです。(以下は、その一部を抜粋したものです)

 

「本を読むこと」

 来し方をふりかえって、自分がやってきたこととして確実にいえるものを数えてみる。そういう年齢です。そして、数少ないそのなかに「本を読むこと」があります。
 文字を覚えるとすぐ、それも当時のやり方で、カタカナ、ひらがなを覚えると、それを手がかりに自分の周りにある本をなんでも読もうとしました。本というより、文字の書いてある紙ならなんでも!

 

最初の図書館

 はっきり思い出す、きわめて古い情景のひとつは、私にとっての最初の図書館です。そうはいっても、奇妙なというか不思議なというか、本のかたちをしたものはおそらく一冊もなかったある場所なのです。
 私は1日の大半をそこにこもって、狭いところを這いずりまわって、部屋の壁の、半ばから裾に張りめぐらしてある、古い雑誌のページを読んでいたのでした。裏の離れの、祖母の部屋です。

 

「人生を生きること」の始まり

 漢字が使われている部分は読めないはずですが、たいていルビがついています。そこで二、三行の文章を、それをまっすぐタテに張りつけられているのじゃない紙に、頭をねじったり、上半身さかさまにしたりの格好で読む。そこに、情報の切れっぱし、小説の場面、そしてまれに漫画や絵物語がふくまれているのですが、夢中になる面白さだったのです。
 これが私の「本を読むこと」のはじめです。その間も、私の「人生を生きること」は始まっていました。この部屋の、自分の周りの壁に張りつけられた紙の文字を読んでいることができる。その状態は、すぐにも壊れるものにちがいないと子供心にも知っているだけに、金色に輝いているような至福感があったのです。
 いま、あらためて記憶をなぞるようにしてみて、これが私の「本を読むこと」と「人生を生きること」の、あまり好きな言葉じゃありませんが、原点だった、という思いがひしひしとします。

 

言葉の迷路をさまよう

 子供の時、私たちが本を読むということは、たいていいつも、はじめて読む本を読む・新しい本を見つけることはじつに難しかったのですが、それでもなんとか見つけだしては読んでいたのです。
 そしてあのころ、そのような読書、つまり一体どのようにこの物語が発展するのか、読んでゆけばどんな思いがけない待ち伏せに遭うのか、そういうことがわからないまま進めた読書にも、それとしての意味はあったと私はいま確信を持って思います。
 つまり、言葉の迷路をさまよっているような読み方にも、意味はあるのです。なによりそれは面白い、ドキドキするほどのことですらありますしね。

 

リリーディングは別の経験

 しかし多くの本を読みかさね、人生を生きてきもして、ある一冊の本が持ついろんな要素、多様な側面の、相互の関係、それらが互いに力をおよぼしあって造る世界の眺めがよくわかってから、あらためてもう一度その本を読む、つまりリリーディングすることは、はじめてその本を読んだ時とは別の経験なのだ、とフライ(カナダ生まれの文学理論の専門家)はいうんです。そのような読み方だと、なによりもまず、よくわかるし、この本はこうした方向に深めてゆくようにして読み進めればいいんだよ、はっきり意識して、そのとおりに読むことができる、というわけです。
 そのような読書は、自分の人生の探求に実り多いものとなります。とくにそうした探求が切実に必要な人生の時になって、本当に役に立つ読書の指針・仕方です。つまり、「もう時がない ...」としみじみ感じとる大人にとっては、そうした読書が必要なんです。

 

「もう時がない ...」

 まずはじめての本として良い本を読む、ということは大切です。それがなければ、やがてやるリリーディングにも意味はありません。フライのいうとおり、真面目な読者とは、「読みなおすこと」をする読者のことです。さらに私はそれが、自分の人生の「時」のつみかさねの後で、やがてこの本をリリーディングするだろうとあらかじめ感じとりながら、はじめての本を読む読者のことでもあると思います。
 そのような真面目な読者の耳には、「もう時がない ...」― それは聖書の「黙示録」のなかの ” time no longer ” という言葉の訳ですが、― という声が響いているはずです。子供の時から老年の現在まで、いつもその声に耳をかたむけながら本を読んで生きてきた・そのように感じている者として、お話ししました。

 

「人生を生きること」の最初の幸福

 私の「本を読むこと」はそのように貧しい環境ではじまりました。都会の、中流家庭で育った ― 上流の、というような子供のことは思い浮かべるのも難しいのですが ― 同じ世代の人たちの子供時代の読書に比較はできません。
 たとえば私の家内は、草創期からの映画監督で教養のあった父親と、読書のためのひまと能力を持っていた母親との娘で、幼・少女期の読書は、宮澤賢治を中心としたものでした。
 しかし、どういうわけかというより、家庭の生活水準のせいのように思いますが、私には宮澤賢治と出会うチャンスはありませんでした。読書のひまも、教養もなかった ―  少なくとも「本を読むこと」を基盤としたものとしては ―  母親が、戦中・戦後の困難な時期に、『ニルス・ホーゲルソンの不思議な旅』と『ハックルベリー・フィンの冒険』を松山で見つけてきてくれたことが、私にとって「人生を生きること」の最初の幸福でした。

 

本屋も図書館もなかった

 私の幼・少年期の読書をふりかえってみて、その基本のトーンをなしているのは、いかに本を見つけるか・どうしても見つけぬわけにはゆかないのだが、という切迫した欠乏感です。そして手にいれた本は、徹底的に読みつくさずにいない貪欲さです。よく自分が本を盗むことをしなかったものだ、とつくづく思うほどですが  ―  その点ではありがたいことに  ―  私が生まれ育った環境には本屋も図書館もなかったのです。

 

 

 

 

 

 

 

『時代の風音』 堀田善衛・司馬遼太郎・宮崎駿

 

20世紀とはどんな時代だったのか
21世紀をいかに生きるべきか

 

時代の風音 (朝日文芸文庫)

時代の風音 (朝日文芸文庫)

 

 

堀田善衛(ほったよしえ)
1918年富山県生まれ。慶應義塾大学卒。「広場の孤独」「漢奸」ほかで芥川賞受賞。98年逝去。おもな作品に『方丈記私記』『ゴヤ』『ミシェル城館の人』など。

 

司馬遼太郎(しばりょうたろう)
1923年大阪府生まれ。大阪外国語大学卒。「梟の城」で直木賞受賞。93年文化勲章受章。96年逝去。おもな作品に『国盗り物語』『世に棲む日日』『街道をゆく』シリーズなど。

 

宮崎駿(みやざきはやお)
1941年東京都生まれ。学習院大学卒。『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』などで多数の映画賞を受賞。88年芸術選奨文部大臣賞、89年都民文化栄誉賞など。おもな作品に『魔女の宅急便』『紅の豚』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』など。

 

 

『時代の風音』あらすじ

 20世紀とはどんな時代だったのか。21世紀を「地球人」としていかに生きるべきか。歴史の潮流の中から「国家」「宗教」、そして「日本人」がどう育ち、どこへ行こうとしているのかを読み解く。それぞれに世界的視野を持ちつつ日本を見つめ続けた三人が語る「未来への教科書」

 

目次

1  二十世紀とは
2  国歌はどこへ行く
イスラムの姿
4  アニメーションの世界
5  宗教の幹
6  日本人のありよう
7  食べ物の文化
8  地球人への処方箋

 

 

宮崎駿の熱烈な思いによって実現した、3人の対談集

 心情的左翼だった自分が、経済繁栄と社会主義国の没落で自動的に転向し、続出する理想のない現実主義の仲間にだけはなりたくありませんでした。自分がどこにいるのか、今この世界でどう選択して生きていくべきか、おふたりなら教えていただけると思いました。
 忘れられないのは、「人間は度しがたい」と司馬さんがおっしゃった瞬間でした。堀田さんが坐りなおしつつ、「そうだ、人間は度しがたい」と答えたのです。
 私事で申し訳ありませんが、死んだ母のことを思い出していました。「人間はしかたのないものだ」というのが彼女の口癖で、若い私と何度も激しくやりとりしたのです。戦後の文化人の変節について彼女が語るとき、不振のトゲは何かいたたまれないものがありました。
 茫然としながらも、おふたりの言葉は私の気を軽くしてくれました。澄んだニヒリズムというと、誤解をまねくでしょうが、安っぽいそれは人を腐らせ、リアリズムに裏づけられたそれは、人間を否定することとはちがうようです。もっと長いスタンスで、もっと遠くを見る目差しが欲しいとつくづく思います。

 

 

 

 

『無名の人生』 渡辺京二

 

名著『逝きし世の面影』の著者
初めての語りおろし
生きるのがしんどい人びとにエールを送りたい

 

無名の人生 (文春新書)

無名の人生 (文春新書)

 

 

 

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渡辺京二(わたなべきょうじ)
1930年、京都生れ。大連一中、旧制第五高等学校文科を経て、法政大学社会学部卒業。評論家。河合文化教育研究所主任研究員。熊本市在住。著書に『逝きし世の面影』『評伝 宮崎滔天』『北一輝』『アーリイモダンの夢』『もうひとつのこの世 石牟礼道子の宇宙』『近代の呪い』『幻影の明治』『無名の人生』など。

 

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『無名の人生』あらすじ

 戦前の最先端都市、大連で少年期を過ごし、その後の熊本への引揚げですべてを失い、戦後を身ひとつで生きぬいてきた著者。「自分で自分の一生の主人であろう」としたその半生をもとに語られる幸福論。

 

 

幸福と不幸は糾える縄の如し

 人が幸福だとは、一体どういうことを言うのでしょうか。一個の人間が一生を通して幸せに過ごそうなどというのは、欲の皮が突っ張りすぎなのかもしれません。
 幸福と不幸は糾(あざな)える 縄の如しで、こいつは不幸のはじまりかと心配したら、実際は幸せのはじまりだったということもあれば、せっかく幸福をつかんだと思ったのに、とんでもない不幸が待ち受けていたとか、人生いろいろです。

 

人生をあるがままに受けとめる

 すべての不幸を避けるなど不可能だと言えます。不幸の種はかぎりなくこの世に存在していて、どうあがいても不幸は、人生に起こってくるものだからです。逆にいうなら、幸せなことがまったくない一生もないはずです。人間の一生には幸福も不幸もあるけれど、その評価は、自分で一生を総括してどう考えるのかの問題だということになります。
 人間の幸福とは、摑みどころのないもの。それでも、ひとつだけ言えることがある。幸不幸の入り混じった人生ではあったけれど、どちらがより多かったのか、無駄な一生だったと振り返るのか、それとも実りの多い一生だったと思うのか。その際、大切なことは、自分の人生をあるがままに受けとめることでしょう。

 

 

近代化が人間の能力を奪う

現代文明がつくりだす人工的な空間

 考えてみると、われわれの生きている世界は途方もなく豊穣です。この世界は、いろんな形に満ちている、声や音色に満ちている。色彩に満ちている。それにひきかえて、現代文明がつくりだしている人工的な空間は、ひたすらクリーンです。歪みや汚れがない規格品のようで、単調なこときわまりない。逆にいえば、非常に単調であるがゆえに、歪みも汚れも乱雑さも含まない、じつに貧しい世界。
 こうした現代文明が行きついた地点についてほかの誰もが見なかったような様相を見抜いた偉大な見者がいます。イバン・イリイチです。彼は1926年にオーストリアのウィーンに生まれ、2002年に76歳で亡くなりました。

 

貧困問題など俺には関係ない

 イリイチの著書『生きる意味』に、こういうくだりがあります。
 ある人から「エチオピアの貧困問題をどうすべきだと思うか」と問われて、イリイチは答えます。
 「アイ・ドント・ケア( I don't care )」
 かなりショッキングな言葉です。
 「ケア」という単語は、「世話をする」とか「面倒をみる」という意味で、否定形だと「俺には関係ないよ」「どうでもいいさ」といったニュアンスになり、要するに「エチオピアの貧困問題など俺には関係ないよ」という意味に取れる言葉です。
 一体、イリイチの真意はどこにあったのでしょうか。この言葉からは、イリイチが「ケア」というものを、どれほど根本から批判していたかがわかります。

 

ケアを看破していたイリイチ

 ケアとは、人間の存在を「ニーズ(基本的な欲求)の固まり」として捉える人間観にもとづいています。そうしたニーズをひとつひとつ満たしていくのがケアである、と。しかし、じつは、ケアこそが、もともとありもしなかった人びとのニーズをつくりだしているのではないか。これが、イリイチが看破したことでした。
 現代社会には、商品化され、また行政管理の対象となるケアが、いたるところに存在しています。その領域はいくつにも分かれ、各領域のニーズを診断し、それぞれに合ったケアを提供する専門家が存在する。
 彼らがそれぞれの専門領域ごとに提供するケア ー 近代化という名のもとになされる事業 ー をイリイチは根本から嫌いました。専門家は、「人びとのニーズに応えるためにケアを提供している」と思っている。そしてそのことが、彼ら自身の専門家としての存在理由ともなっている。しかし、じつは、彼らがそう思い込んでいるだけであって、むしろ専門家がもともとはありもしなかったニーズをつくりだし、ケアを通じて、結局は、人びとの生を管理しているのだ、と。しかも、使命感をもって熱心に働いている専門家ほど、事態を悪化させているのだ、と。

 

自力でつくりだす能力を奪う

 アフリカの貧困問題を解決しなければならない。そのために国際機関が出動しなければならない。先進国は食糧品を供与せねばならない。そうやって専門家がドカドカと地域に入っていく。そこでさまざまな近代化の事業を展開する。そうやってケアに依存するしかない人びとをつくりだしていく。
 しかし、人間は、本来、自然と交渉して、自らの生活空間を自力でつくりだす能力をもっているとイリイチは考えます。モノを消費することではなく自分で必要なモノをつくりだすことこそ人間の面目であり、他者との共生や福祉も自主的な地域共同体の活動によってもたらされるべきである、と。人間はもともとそういう能力をもっているのに、専門家がケアを排他的に提供することで、その役割を「専門家」として独占することで、むしろ人間からそうした能力を奪っている、と。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

2017年度「記事ランキングベスト10」

 

 

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備忘録として始めた「きょうも読書」

  読了本の備忘録として始めたブログ「きょうも読書」が、はてなブログに引越してきて1年経過しました。今回は約200本の記事から、10本を独断と偏見で選び、勝手に順位をつけてみました。番外編は5本。なお、サイドバーの人気記事ランキングとはあえて別のものを選んでいます。

 

 

第10位   
星の王子さま』  サン=テグジュペリ

 

第9位   
年収と読書量は正比例する

 

第8位
本を読むときに無意識にしている8つのこと

 

第7位
プーチンの実像』 山下泰裕へ贈った言葉

 

第6位
『命の一句』世界でいちばん小さなメッセージ

 

第5位
源氏物語』② 紫式部 
人生の指南書

 

第4位
桜田門外ノ変』 吉村 昭


第3位
『私の個人主義夏目漱石

 

第2位 
『ぼくはこんな本を読んできた』立花隆の読書論

 

第1位
打ちのめされるようなすごい本』 米原万理

『打ちのめされるようなすごい本』について

 本書は500ページに及ぶ書評集ですが、その中で著者の外国語学習法について、ロシア語を半年ほどで話せるようになった経緯も語られています。語学を学んでいる方には参考になるかもしれません。
 さて、紹介されている書籍については、ロシアや東欧関係のものが多いものの、それ以外もたくさん紹介されています。とにかく読書の幅が広く、文学から下ネタ系まで、すべてに興味をそそる書評が魅力です。特に文学については「文学こそ民族の精神史の記録であり、粋である」といっています。また「ガセネッタ&シモネッタ」や「パンツの面目ふんどしの沽券」などの著書も。
 ところで、本のタイトルにある「打ちのめされるようなすごい本」とはいずれか ... もったいぶるようですが、それはまた別の機会にでも紹介します。本書にはご自身の癌闘病記も記載されていて、生きていればもっと楽しい話が聞けたのにとても残念です。最初で最後の書評集になってしまいました。

 

 

番外編  

 

 

 

無名に埋没せよ 渡辺京二

 

『逝きし世の面影』の著者が贈る
目からウロコの人生指南
社会に役立たなくていい

 

 

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渡辺京二(わたなべきょうじ)
 1930年、京都生れ。大連一中、旧制第五高等学校文科を経て、法政大学社会学部卒業。評論家。河合文化教育研究所主任研究員。熊本市在住。著書に『逝きし世の面影』『評伝 宮崎滔天』『北一輝』『アーリイモダンの夢』『もうひとつのこの世 石牟礼道子の宇宙』『近代の呪い』『幻影の明治』『無名の人生』など。

 

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『女子学生、渡辺京二に会いに行く』
 本書は、歴史家・渡辺京二と、津田塾大学三砂ちづるゼミの学生たちによる、奇跡のセッション。子育て、学校教育、自己実現、やりがいのある仕事 ... いまの女子学生たちの様々な悩みに、近代とは何かを探求し続けてきた老歴史家が真摯に答えていく。私たちの社会に固有の生きづらさの起源を解き明かし、存在の原点に立ち返らせる、生きた思想の書。

以下は目次と「無名に埋没せよ」からの抜粋です。
1  子育てが負担なわたしたち
2  学校なんてたいしたところじゃない
3  はみだしものでかまわない
4  故郷がどこかわからない
5  親殺しと居場所さがし
6  やりがいのある仕事につきたい
7  自分の言葉で話すために ー 三人の卒業生
   無名に埋没せよ ー 渡辺京二

 

 

僕は社会に必要とされていない

 この間テレビを見ていたら、就職難でなかなか就職が決まらないという若い青年の話しが取り上げられていました。その青年が、「僕は社会に必要とされていない人間だ」というふうに言うんですね。僕は、この人は何を言うんだろうと、どこからこんな言葉が出てくるんだろうと思いました。これは場合によっては自殺につながりかねない発言ですね。社会に必要とされていないから、僕はもう生きていてもしょうがないと、こういうふうにつながっていく。

 

普遍的な悩み

 どこでそんな考え方を吹き込まれてきたのか。きっと学校で「君たちは社会が必要とするような人間になりなさい」とか、「社会に役立つような人間になりなさい」とか、そういうことを聞いてきたんでしょう。そうでないと、今のような言葉は出てこないんじゃないかと思うんですね。この青年は特殊かというと、そうじゃない。自分が社会に必要とされているかどうか悩み、結局必要とされていない、自分なんかいらない人間だというふうな、そういう落ち込み方は、わりと普遍的にあるのではないかと思うんです。 

 

生きる権利がある

 昔はまったくの一人の個人というのはなくて、ある家族に属している人間がいる。その家族というのも核家族ではない、大家族である。なぜ大家族かというと、家族が経営の単位だからです。農業や職人の仕事をしていく、他人も含んだ大家族です。そういう大家族があって、村や町内という集団がある。こういうふうに一人の人間はまず生きようとする。生きる権利がある。まず自分が生きるということがあって、社会が必要としようがしまいが、そんなことはその個人には何の関係もないはずなんです。

 

どうぞ生き延びてくれ

 人間というのは、自分のエゴイズムを一番最初に確認することから始まります。自分は押しのけてでも生きたい、ほかのやつが死んでも自分は生き残りたい、というのが出発点であります。たとえば明治の作家、島崎藤村の文学のモチーフは、「自分のようなものでも生きたい」というのが基調でした。自分のようなものでも生きていっていいのだと、それが根本なんでございます。人のためとか、社会のためなんて言うのは、次の次に出てくることで、人間というものは、生んでいただいた以上、生まれてきた以上、生き通す責任があるのです。あなた方の親は、あなた方が自分のために一生懸命生きて幸せになってくれれば、それが一番だと思っている。親は自分に尽くしてくれなんて思っておりません。
 望んでいるのは、生き延びてくれと。そこではエゴイズムがありますから、他人の子どもは死んでも自分の子どもは生き延びてくれ、と思っている。ともかくあなた方の親は、おまえ、どうぞ生き延びてくれ、しっかり生きてくれ、できれば幸せになってくれ、と言っているだけでございます。世の中に貢献しろ、なんて言ってはおりません。

 

人間はなんのために存在しているのか

 自分が生きていくということ、これが一番大事で、なぜそうなのかというと、この宇宙、この自然があなた方に生きなさいと命じているんです。わかるかな。
 リルケという詩人がいますが、彼は人間はなんのために存在しているんだろうと考えたのね。人間は一番罪深い存在だという見方も当然一面ではありますが、ごく自然に言って、人間は神様が作ったものじゃない。ビックバンから始まった宇宙の進化が創り出したのが人間という存在である。ではなんのために、この全宇宙は、この世界という全存在は、人間というものを生み出したのであろうか。

 

自分の美しさを誰かに見てほしい

 その時にリルケは世界が美しいからじゃないかと考えたんです。空を見てごらん。山を見てごらん。木を見てごらん。花を見てごらん。こんなに美しいじゃないか。ものが言えない木や石や花やそういったものは、自分の美しさを認めてほしい、誰かに見てほしい、そのために人間を作った、そうリルケは考えたのね。宇宙は、自然という存在は、自分の美しさを誰かに見てもらいたいために人間を作ったんだろうというふうに考えたんだねえ。

 

存在意義のない人間なんて一人もいない

 これは化学的根拠なんか何もない話で、とくに理科系の人は非科学的な哲学だというわけだね。でも哲学でけっこうなんだ。これは哲学なんだから。人間は、この全宇宙、全自然存在、そういうものを含めて、その美しさ、あるいはその崇高さというものに感動する。人間がいなけりゃ、美しく咲いている花も誰も美しいと見るものがいないじゃないか。だから自然が自分自身を認識して感動するために、人間を創り出したんだ。
 そう思ったら、この世の中に存在意義がない人間なんか一人もいないわけ。全人間がこの生命を受けてきて、この宇宙の中で地球に旅人としてごく僅かの間、何十年か滞在する。その間、毎年毎年花は咲いてくれる。そういうふうに毎年毎年花を見る、毎年毎年、ああ、暑かった、ああ、寒かったと言って一年を送る、それだけで人間の存在意義はあるんです。この社会に出て行って、立派な社会貢献をしたりしなくても、ごく平凡な人間として一生を終わって、それで生まれてきたかいは十分あるわけです。

 

無名に埋没せよ

 人間はテレビに出るような人物や国際舞台で活躍するような人間にならなくても、ごく平凡でかまわないんですよ。無名の一生で一つもかまわないんですよ。というよりもそれが基本なんです。この世の中で、テレビや新聞などに名前が出てる人たちの比率をとったら、名前も出ないし、そういうことにあまり関心もないという人間が圧倒的多数なんです。圧倒的多数はだから黙って生きて、黙って死んでいくのです。
 自分を取り巻いている自然を十分に楽しみ、男女の仲を楽しみ、生まれた子どものことを楽しみ、あるいは自分を取り巻いているいくつかの人間とのつきあいを楽しむ。もちろん失望や怒りも感じるだろうけど、しかし自分とは違う他人がいて、そのつきあいの中の楽しさもあった。それだけで十分、それが基本です。無名に埋没せよ、ということです。

 

 

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 ライナー・マリア・リルケ
Rainer Maria Rilke  1875 - 1926。オーストリアの詩人、作家。時代を代表するドイツ語詩人として知られる。プラハに生まれ、プラハ大学、ミュンヘン大学などで学び、早くから詩を発表し始める。日本においてリルケはまず森鴎外によって訳されたのち、茅野蕭蕭『リルケ詩抄』によって本格的に紹介される。『時祷詩集』『新詩集』『マルテの手記』など。

若き詩人への手紙・若き女性への手紙 (新潮文庫)

若き詩人への手紙・若き女性への手紙 (新潮文庫)