きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『世界の名著』 マキアヴェリからサルトルまで

 

 ふるいもののなかにこそ真の新しいものがある過去の名著が現在をこえて未来につながる

 

f:id:muchacafe:20181003211534j:plain

f:id:muchacafe:20181007001931j:plain

f:id:muchacafe:20181006102120j:plain

 

 

現代を支配してきた名著45冊

 あまりに強烈な影響を及ぼしてきたマルクス、人間行動のバネを性欲に見出すフロイト、奇怪な用語をあやつる実存主義ハイデッガー、そして近代経済の構造を大胆にデザインしたケインズなど、現代を支配してきた「名著」45冊の生々しい記録をとおして、現代日本の知識人として必読すべきポイントが何か、解かれずにのこされているナゾや批判されるべき点が何かを、30名におよぶ学界の権威が明快に解き明かす。

 

むかしの書物をなぜ読まねばならないのか

 「世界の名著」は、近代の哲学・社会思想に重点をおいており、芸術作品はすべて除外されている。「名著」とはいえ、数十年、数百年もむかしの書物を、こんにち、なぜ読まねばならないのか。ヴォルテールが、イギリス人にあててつぎのように書いた。
 「フランス人は新しいものを好むとみられています。しかし、それは料理やモードについてなのです。というのは、新しい真理はわたしたちのあいだでつねに禁じられているからです。新しい真理がうけ入れられるのは、それが古くなってからのことでしかないのです」
 本書はふるいものへの復帰を説こうとするものではない。そうではなく、ふるいもののなかにこそ真に新しいものがあることの実例を示すことが、わたしたちの意図であった。過去の名著が、目前の現在をこえて、未来につながるのである。
 本書にあつめられた著作は、すべて多少とも、当時の社会にあって異端邪説であった。世間の常識を批判するだけでなく、生命の危機さえおかして権力に抵抗して書かれたものもすくなくない。

(本書より)

 

以下は本書で紹介された45冊です

君主論マキアヴェリ(1513年稿)
ユートピアトマス・モア(1516年刊)
キリスト教綱要』カルヴァン(1536年刊)
『方法叙説』デカルト(1637年刊)
リヴァイアサンホッブズ(1651年刊)
『明夷待訪録』黄宗義(めいいたいほうろく/ こうそうぎ)(1663年稿)
『プリンキピア』ニュートン(1687年刊)
『人間悟性論』ロック(1690年)
『法の精神』モンテスキュー(1748年刊)
『人間不平等起原論』ルソー(1755年刊)

『諸国民の富』アダム・スミス(1776年刊)
純粋理性批判カント(1781年刊)
フランス革命省察エドマンド・バーグ(1790年刊)
人口論マルサス1798年初版刊)
『法の哲学』ヘーゲル(1821年刊)
『産業者のカテキスム』サン=シモン(1824年稿)
アメリカのデモクラシー』トクヴィル(1835~40年刊)
『死にいたる病い』キルケゴール(1849年刊)
種の起源ダーウィン(1859年刊)
『自由について』ジョン・S・ミル(1859年刊)

資本論マルクス(1867年第一巻刊)
『権利のための闘争』イェーリンク(1872年刊)
『世界史』ランケ(1881~88年刊)
ツァラトゥストラはかく語りきニーチェ(1883~91年刊)
『人生論』トルストイ(1887年刊)
『産業民主主義』シドニー&ビアトリス・ウェッブ(1897年刊)
『自殺論』デュルケーム(1897年刊)
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神マックス・ウェーバー(1904~5年刊)
『民主主義革命における社会民主党の二つの戦術』レーニン(1905年刊)
『哲学の諸問題』ラッセ(1912年刊)

精神分析入門』フロイト(1915~17年刊)
『民主主義と教育』デューイ(1916年刊)
『歴史と階級意識ルカーチ(1923年刊)
三民主義孫文1924年講)
存在と時間ハイデッガー(1927年刊)
イデオロギーユートピアマンハイム(1929年刊)
『近代国家における自由』ラスキ(1930年刊)
ロシア革命史』トロツキー(1932年刊)
『晩年に想う』アインシュタイン(1933~50年稿)
『新君主論グラムシ(1929~34年稿)

雇用・利子および貨幣の一般理論ケインズ(1936年刊)
『新民主主義論』毛沢東(1940年発表)
『自由からの逃走』フロム(1941年刊)
福音主義神学入門』バルト(1961年刊)
存在と無サルトル(1943年刊)

 

 

 

 

 

 

 

 03-1856

漢字の少ない文章のほうが読みやすい

 

ひらがなを多くすると
格段に読みやすい文章になる

 

 

f:id:muchacafe:20180921133803j:plain

 

 

ひらがなが多い文章は早く読める

 漢字の多い文章は単に読みずらいだけでなく、堅苦しさや仰々しさが感じられる。逆に、ひらがなの多い文章は読みやすく、そして早く読むことができる。これは読み手への気づかいであり、ストレスを感じさせない配慮でもある。
 ある言葉を漢字で書くか、ひらがなで書くかを適切に判断するのは簡単なようでむずかしい。日ごろよく使う言葉で漢字ではなく、ひらがなで書くのが一般的なものをまとめてみた。読みかけの文庫本や新書をあらためてそういう観点で見てみるのも参考になるだろう。

 漢字の多い文章
利用者は限られた時間ので、有益な情報に素早く辿り着くを目的に、検索サービスを利用して居ます例えば「〇〇うどん」と言う店名だけで無く、「〇〇うどん 住所」「〇〇うどん 地図」と言った一層具体的な言葉の組み合わせで検索する傾向が有ります。

適度にひらがなの多い文章
利用者は限られた時間のなかで、有益な情報に素早くたどり着くことを目的に、検索サービスを利用していますたとえば「〇〇うどん」という店名だけでなく、「〇〇うどん 住所」「〇〇うどん 地図」といったいっそう具体的な言葉の組み合わせで検索する傾向があります。

 

*下記の「web文章入門」参考

 

 

 

ひらがなが一般的な言葉

という事 → ということ  
という物 → というもの
その為 → そのため  
その様に → そのように
その時 → そのとき
その他 → そのほか
その上 → そのうえ
何故 → なぜ
如何に → いかに
僕 → ぼく
私達 → 私たち
我々 → われわれ
貴方/貴女 → あなた
或いは → あるいは
及び → および
即ち → すなわち
但し → ただし
尚 → なお
今更 → 今さら/いまさら
更に → さらに
敢えて → あえて
余り → あまり
予め → あらかじめ
有る → ある
改めて → あらためて
併せて → あわせて
言う → いう
致します → いたします
頂く → いただく
至って → いたって
一旦 → いったん
未だ → いまだ
居る → いる
色々 → いろいろ
嬉しい → うれしい
恐らく → おそらく
且つ → かつ
下さい → ください
位 → くらい
頃 → ころ
迄 → まで
先程 → 先ほど/さきほど
様々 → さまざま
難しい → むずかしい
従って → したがって
暫く → しばらく
既に → すでに
全て → すべて
全く → まったく
是非 → ぜひ
最も → もっとも
分かる → わかる
沢山 → たくさん
例えば → たとえば
丁度 → ちょうど
遂に → ついに
繋げる → つなげる
出来る → できる
通り → とおり
共に → ともに
無い → ない
一つ → ひとつ
二つ → ふたつ
一人 → ひとり
方 → ほう
殆ど → ほとんど
先ず → まず
又は → または
良い → よい
僅か → わずか
後で → あとで
後ほど → のちほど
上手く → うまく
面白い → おもしろい
愉しむ/楽しむ → たのしむ
極めて → きわめて
過ぎる → すぎる
大変 → たいへん
使う → つかう
作る → つくる
付ける → つける
続く → つづく
何となく → なんとなく
始め/初め → はじめ
久々 → ひさびさ
真面目 → まじめ

 

 

 参考「公用文における漢字使用等について」

①代名詞はかな書きする
(例)ぼく あなた あれ これ それ だれ どれ ここ そこ
*ただし、私 彼 彼女は漢字で書く。 

②形式名詞はかな書きする
(例)うち ため こと とき ところ はず ふう ほど もの わけ

③接続詞はかな書きする
(例)あるいは および しかし したがって すなわち そのうえ ただし ところが なお

④助動詞・助詞はかな書きする
(例)ごとき(ごとし) そうだ べき(べし) くらい(ぐらい) だけ ながら など ばかり ほど

⑤補助的に用いられる用言はかな書きする
(例)ある いる まる できる てあげる ていく ていただく ておく てください てくる てしまう てみる(動詞)

⑥接頭語・接尾語はかな書きする
(例)お願い ご依頼 み心 うち消す かき消す 子供ら 若者たち 6時間ごと 淋しげ

感動詞はかな書きする
(例)ああ あら いえ

⑧連体詞はかな書きする
(例)ある あの この きたる

⑨副詞はかな書きする
(例)あくまで いよいよ おおよそ かなり くれぐれ こもごも さほど すぐ しばしば たまたま とにかく なかなか ほぼ もはや よほど

 

 

 

 

 

 

 

河合隼雄 『こころの処方箋』

 

人間関係のしがらみに泣きたくなったとき
助けになってくれる一冊

 

こころの処方箋 (新潮文庫)

こころの処方箋 (新潮文庫)

 

 

河合隼雄(かわいはやお)

1928 - 2007  兵庫県生まれ。京都大学理学部卒。京都大学名誉教授。日本におけるユング派心理学の第一人者であり、臨床心理学者。文化功労者。元文化庁長官。著書に『昔話と日本人の心』『猫だましい』『こころの最終講義』『泣き虫ハァちゃん』など多数。冗談好きで、日本ウソツキクラブ会長を自称していた。脳梗塞で死去。79歳没。

 

 

『こころの処方箋』

 「耐える」だけが精神力ではない。心の支えは、時にたましいの重荷になる。あなたが世の理不尽に拳を振りあげたくなったとき、人間関係のしがらみに泣きたくなったとき、本書に綴られた55章が、真剣に悩むこころの声の微かな震えを聞き取り、トラブルに立ち向かう秘策を与えてくれるだろう。この、短い一章一章に込められた偉大な「常識」の力が、かならず助けになってくれるだろう。(以下は本書より抜粋)

 

100%正しい忠告はまず役に立たない

 ともかく正しいこと、しかも、100%正しいことを言うのが好きな人がいる。非行少年に向かって、「非行をやめなさい」とか、煙草を吸っている人には、「煙草は健康を害します」という。何しろ、誰がいつどこで聞いても正しいことを言うので、言われた方としては、「はい」と聞くか、無茶苦茶でも言うより仕方がない。

 もちろん、正しいことを言ってはいけないなどということはない。しかし、それはまず役に立たないことくらいは知っておくべきである。たとえば、野球のコーチが打席にはいる選手に「ヒットを打て」と言えば、これは100%正しいことだが、まず役に立つ忠告ではない。ところが、そのコーチが相手の投手は勝負球にカーブを投げてくるぞ、と言ったとき、それは役に立つだろうが、100%正しいかどうかはわからない。彼は「その時その場の真実」に賭けることになる。それが当たれば素晴らしい。もっとも、はずれたときは、彼は責任を取らなければならない。

 このあたりに忠告することの難しさ、面白さがある。「非行をやめなさい」などと言う前に、この子が非行をやめるにはどんなことが必要なのか、この子にとって今やれることは何かなどと、こちらがいろいろと考え、工夫しなかったら何とも言えないし、そこにはいつもある程度の不安や危険がつきまとうことであろう。そのような不安や危険に気づかずに、いい加減なことを言えば、悪い結果がでるのも当然である。

 ひょっとすると失敗するかも知れぬ。しかし、この際はこれだという決意をもってするから、忠告も生きてくる。己を賭けることもなく、責任を取る気もなく、100%正しいことを言うだけで、人の役に立とうとするのは虫がよすぎる。そんな忠告によって人間が良くなるのだったら、その100%正しい忠告を、まず自分自身に適用してみるとよい。「もっと働きなさい」とか、「酒をやめよう」などと自分に言ってみても、それほど効果があるものではないことは、すぐわかるだろう。

 

目次から一部を紹介

・人の心などわかるはずがない
・「理解ある親」をもつ子はたまらない
・言いはじめたのなら話合いを続けよう
灯台に近づきすぎると難破する
・イライラは見とおしのなさを示す
・説教の効果はその長さと反比例する
・男女は協力し合えても理解し合うことは難しい
・うそは常備薬、真実は劇薬
・物が豊かになると子育てが難しくなる

 

 

こころの最終講義 (新潮文庫)

こころの最終講義 (新潮文庫)

 
こころの読書教室 (新潮文庫)

こころの読書教室 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

『知の越境法』 池上 彰

 

すぐ役立つものは、すぐに陳腐化する
「役に立つこと」は教えない

 

知の越境法 「質問力」を磨く (光文社新書)

知の越境法 「質問力」を磨く (光文社新書)

 

 

f:id:muchacafe:20180915152547j:plain
Wikipedia  Liberal Arts  自由七科と哲学

 

リベラルアーツの起源

 アメリカはプラグマティズム実用主義)を体現する効率一点張りの国で、大学でもすぐに役立つ学問を教えている、というイメージがある。ところが意外なことに、アメリカの有名大学になると、リベラルアーツが重視されている。

 リベラルアーツの起源は、ギリシャ、ローマでは、肉体労働は奴隷に任せ、自由人は「自由七科」と言われる教養を身につけることが求められた。その7つとは、文法、修辞学、論理学、算術、幾何、天文学、音楽だ。

 13世紀にヨーロッパで大学が誕生すると、専門家養成に進む前の基礎学問としてリベラルアーツは位置付けられ、この伝統は欧米の大学に受け継がれた。特にアメリカではハーバード大学のように学部4年間はリベラルアーツを学び、専門は大学院で学ぶ、というのが一般的だ。

 

教育は国家百年の計

 戦前の日本でも旧制高校リベラルアーツ教育が行われ、戦後は4年制の新制大学の教養課程で教えられた。しかし、学生から一般教養は高校の延長で面白くないという声が上がり、また企業からは即戦力としての専門教育が求められた。
 文部省は、大学での教育内容に関して細かく指示を出すのを止め、大学の自主性に任せるようになった。その結果、多くの大学で教養学部を解体していった。ところが、今度は学生を受け入れる企業側が文句を言いだした。教養や常識のない新入社員が増えたというので、再び教養教育重視を掲げたのだ。ネコの目のように方針が変わるようでは、いい人材など育ちようがない。

 

「役に立つこと」は教えない

 そのうな日本から見ると、アメリカが育ててきたリベラルアーツの奥深さには嫉妬さえ覚えると。MIT(マサチューセッツ工科大学)は世界トップレベルの理工科系大学。ところが意外にも音楽教育が充実していて、音楽のできる学生が多い。音楽は数学的な構造を持つものだと言われる。ところで、このMITでは当然のごとく最先端のことを教えていると思うのだが、実際はまったく違うのだ。
「いま最先端のことは4年程度で陳腐化します。すぐに陳腐化することを教えても仕方ありません。新しいモノを作り出す、その根っこの力をつけるのがリベラルアーツです。すぐに役立つものは、すぐに役立たなくなります」
 一見、すぐには役に立たないかに見える哲学が、やがて量子力学を発展させることに役立つ。「すぐに役に立たない」ことは、「いずれ役に立つ」のだ。

 ボストンにあるエリート女子大のウェルズリー大学ヒラリー・クリントンを輩出した名門のリベラルアーツの大学だ。ここでは経済学は学ぶものの、経営学は教えないという。理由は「役に立ちすぎるから」。これには驚く。経済学は人間を知るためには大事な学問だが、経営学は役に立つ分、すぐに陳腐化する。そうした実学は「ビジネススクールで学べばいい」という考え方だ。「企業からもっと役立つことを教えろ、と圧力があります。でも、大学が断固としてはねつけているんです」という。

 

越境のすすめ

 リベラルアーツを学ぶ意味は、短期的な成果を追わず、人間としての成長を目指すということ。すぐには専門を学ばず、さまざまな学問を越境して学ぶということである。また「リベラルアーツは人を自由(リベラル)にする学問」だともいう。

 本書での越境とは、「ちょっといつもの道を外れ、隣の道を進んでみる」ことであり、独学での学びをいう。角度が変わっただけで風景が違って見える。
 年齢を重ねるほどに学びとしての越境の機会が減る。黙っていても減るわけだから、無理にでもその機会を作る必要がある。自分にとって異なる文化と接すること。目の前の高い壁を乗り越えるのは大変でも、自分の横にある壁は、簡単に飛び越えることができるかもしれない。前の壁を越えるのではなく、隣へ越境してみよう。

 

 

 

 

 

 

 

川端康成 『掌の小説』

 

この掌編小説122編に川端康成という作家のあらゆる要素がふくまれている

 

掌の小説 (新潮文庫)

掌の小説 (新潮文庫)

 

  

「掌」という漢字の読みかた

 しょう、たなごころ、てのひら、と読む。「掌中」「合掌」「車掌」「分掌」など。
 『掌の小説』は「たなごころのしょうせつ」、上記の新潮文庫では「てのひらのしょうせつ」と読む。川端康成が 20代の頃から40年余りにわたって書き続けてきた掌編小説、122編を収録した作品集だ。

 掌編(しょうへん)小説とは、短編小説よりもさらに短い小説を指す。「短い短編小説」であるショートショートよりも短い小説とされるが、明確な基準はない。掌(てのひら)にかきつけた小説とか、掌にはいってしまうささやかな小説ともうけとれる。

 たなごころ、とは「てのひら」のことである。たなごころの「た」は「て(手)」の交替形であり、「な」は「の」にあたる連体助詞で、「たな」は「手の」を意味し、たなごころは「手の心」を意味する。手の中心、手の内側・裏側、手の平をいう。また「掌(たなごころ)を合わす」とは、すなわち「合掌」のこと。神仏を拝むときの動作になる。

 

『掌の小説』「有難う」

 「有難う」は川端の掌編小説の中の代表的作品で、1936年(昭和11年)に清水宏により映画化もされた。あらすじは、バスに乗って町へ売られていく娘を、母親がせめてもの情けで娘の好きなバス運転手と、はじめての一夜を過ごさせるが、そのために母は娘を売りに行けなくなるという物語で、運転手の明るい人がらと、人生の底辺に生きる娘の喜びと悲しみが、簡潔な表現で描かれている。

 

「有難う」はじまりの一節

 今年は柿の豊年で山の秋が美しい。
 半島の南の端の港である。駄菓子を並べた待合室の二階から、紫の襟の黄色い服を着た運転手が下りて来る。表には大型の赤い定期乗合自動車が紫の旗を立てている ...

「お婆さん、一番前へ乗んなさいよ。前ほど揺れないんだ。道が遠いからね。」
 母親が十五里北の汽車のある町へ娘を売りに行くのである ...

 

三島由紀夫も評価

 三島由紀夫は、この作品を掌の小説の中でも優れたものの一つだとし、「母に連れられて売られにゆく少女が、その途中で自分たちが乗って行ったバスの運転手と図らずも結ばれる」という思いがけない結末を「作中の人物も作者も皆の目がやさしくゆるしている」と指摘しながら、やがてその夫となる運転手も、「運命に対して極度に純潔な人々」であると解説している。そして彼らについて「到底、運命に抗争するというような人柄ではない。しかも彼等は運命に盲従する怠惰にして無智無力な存在とも言い切れぬ。むしろこう言うべきだ。かれらは運命に対して美しい礼節を心得ている人たちだ」と述べている。

Wikipedia

 


2010年 4編のオムニバス映画

 

 

 

 

 

 

ショーメ 時空を超える宝飾芸術の世界

  

f:id:muchacafe:20180902151010j:plain

 

 

歴史の中のショーメ  
Chaumet Throughout History

 

CHAUMET

1780年フランスで創業。ナポレオン皇帝一族をはじめ、国内外の多くの貴族に愛された名門宝石商。歴史を育んだ華麗な宝飾品の一部は、現在もヴァンドーム広場のショーメ・ミュージアムに所蔵されている。

 

戴冠衣裳の皇帝ナポレオン1世

1799年に政権を獲得した後、ナポレオンは1804年にフランス皇帝の座についた。華々しいフランス王の偉大な伝統に属するこの肖像画(下)は、権力を示すあらゆる象徴に囲まれた、戴冠式の衣装に身を包んだ姿のナポレオンを描いている。王座、月桂冠、レジオン・ドヌール勲章頸飾、王笏(おうしゃく)、正義の手の杖、そしてフランス王に由来するダイヤモンドで飾られた剣。この上なく壮麗なこれらの宝石のセットを担当したのは、ショーメの創業者、マリ=エティエンヌ・ニトである。

f:id:muchacafe:20180902222215j:plain
フランソワ・ジェラール 1806年

 

皇帝ナポレオン1世より贈呈された教皇ピウス7世のティアラ

教皇ピウス7世のティアラは、1804年12月2日のパリ・ノートルダム大聖堂における戴冠式に出席した教皇に感謝の意を表明するため、皇帝ナポレオンによって依頼された外交的な贈りものである。このティアラをローマへ運んだのは、当時26歳のニトの息子、フランソワ・ルニョーであった。
本展覧会において、ヴァチカンはこのティアラの修復をショーメに委任し、また《ユリウス2世》として知られる特別なエメラルドの上に載せる新たな十字架の制作を任せた。

f:id:muchacafe:20180902222253j:plain
1804-1805年(後世に数回修正)

 

「ジョセフィーヌ」リング

メゾンの最初のミューズである皇妃ジョセフィーヌに敬意を表して、ショーメは優雅でエレガンスなスタイルを保ち続けている。宝石の輝きにより、一層洗練されたデザインは、現代的な曲線をもって235年間の歴史を称えている。

f:id:muchacafe:20180910221743j:plain

 

 

「ロイヒテンベルク」として知られるティアラ

このティアラは、皇妃ジョセフィーヌの後裔(こうえい)にあたるロイヒテンベルク家に由来するもので、8つの部品から成り、計698個のダイヤモンド、32個のエメラルドがかめ込まれている。中央の花には、コロンビアからもたらされた六角形のエメラルドが設置されているが、その重さはほぼ13カラットにも及ぶ。本作は変形の技術とトランブルーズのはめ込み技術という重要な特徴を備えている。

f:id:muchacafe:20180902224246j:plain

 

 

麦の穂のティアラ

ローマ神話における農耕を司る女神ケレスのアトリビュートであり、繁栄と多産の象徴である麦は、第一帝政期のジュエリーにおいて人気のあったモティーフであった。皇妃ジョセフィーヌは麦の穂のティアラを着用することを好んだが、それらは本作同様に9本の穂をあしらい、ゴールドとシルバーのマウントに66カラット以上のアンティークカット・ダイヤモンドをはめ込んだものであった。

 f:id:muchacafe:20180902224350j:plain

 

 

 

f:id:muchacafe:20180902151216j:plain
ジョゼフ・ショーメ《6羽のツバメの連作》
1890年  プラチナ、ゴールド、ダイヤモンド

 

f:id:muchacafe:20180902232937j:plain
ニト・エ・フィスに帰属《ナポリ王妃カロリーヌ・ミュラのバンドー・ティアラ》
1810年頃  ゴールド、真珠、ニコロアゲート

 

 *上記の記事は入場の際に配布されたパンフレットより抜粋しています

 

 

 

 

 

 

 

 

歴史の行間 米原万理

 

 

歴史の行間で
見過ごされちゃうものを
よみがえらせて
生きた人間として描きたい

その人たちの日常をつぶさに知ると
他人ごとではなくなってくる

 

 

米原万理 2003年「小説という手段」

 

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

 
マイナス50℃の世界 (角川ソフィア文庫)

マイナス50℃の世界 (角川ソフィア文庫)