きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

文学はお金より大事なんだぜ 沼野充義

 

 
『世界は文学でできている』

文学には日本文学もフランス文学もロシア文学もない
面白い文学を面白く読めばいいのだ

 

 

人間にとってお金よりも大事な(本当だぜ)文学のために

 この『世界は文学でできている』に具体的な効用がどの程度あるかは保証できませんが、一つだけ期待したいのは、本書を読んでいただければ、文学をもっともっと読んでみたくなる、そして文学はやはり人間にとってお金よりも、権力よりも、何よりも大事なもので、素晴らしいものだと納得できるということです。
*シリーズ3冊目の『それでも世界は文学でできている』より

 

 

 

対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義

 本書は沼野充義がホスト役になって5人のゲストを順次お迎えし、文学について様々な角度から話し合ったものをまとめたものです。この対談形式の連続講義はもともと、財団法人出版文化産業振興財団(JPIC)が主催し、光文社が共催者となって企画し、東京大学文学部現代文芸論研究室が協力するという形で行われました。最初は「中高生のための読書講座〈新・世界文学〉入門」と銘打たれていました。以下は本書から抜粋したものです。

 

『世界は文学でできている』

① 越境文学の冒険
  リービ英雄 × 沼野充義 言語のはざまを生きる

 ② 国境も時代も飛び越えて
  平野啓一郎 × 沼野充義  ネットは文学を変えるか

 ③「Jブンガク」への招待
  ロバートキャンベル × 沼野充義 世界文学の中で日本文学を読む

 ④ 詩を読む、詩を書く
  飯野友幸 × 沼野充義 詩は言葉の音楽だ

 現代日本に甦るドストエフスキー
  亀山郁夫 × 沼野充義 神なき時代の文学者たちへ

 

 

ポーランドの女性詩人

 沼野充義が選んだ、ポーランドの女性の詩です。「とてもふしぎな三つの言葉」という作品。ポーランド語で書かれたもので、作者はヴィスワヴァ・シンボルスカ。1996年にノーベル文学賞を受賞。
 
とてもふしぎな三つの言葉

「未来」と言おうとすると

「み」はもう過去のものになっている

「静けさ」と言うと

静けさをだいなしにしてしまう

「何もない」と言うと

何もない中に収まらない何かが生まれる

 

 池澤夏樹の評論集『春を恨んだりはしない ー 震災をめぐって考えたこと』(中央公論社)を読むと、表題として引用された上記ヴィスワヴァ・シンボルスカの作品「眺めとの別れ」に同様の現象が生じたことがわかる。
 これは詩人が夫を亡くした後の春を迎えたときの気持ちを書いたものと推測されるのだが、大震災後の春に日本でこれを読めば、自分たちのこととしか読めないのではないか。それはおそらく誤読ではなく、時代や状況を越えて生き、新たな力さえも獲得する文学の普遍的な力を示すものではないだろうか。

 眺めとの別れ

またやってきたからといって

春を恨んだりはしない

例年のように自分の義務を

果たしているからといって

春を責めたりはしない

 

 

シリーズ全5巻

この沼野充義の「対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義」シリーズは全部で5冊ですが、それぞれ独立しているのでどれを読まれても楽しめますし、文学の魅力満載です。以下に概要を記しておきます。

『世界は文学でできている』
文学には日本文学もフランス文学もロシア文学もない
面白い文学を面白く読めばいいのだ
対談者:上記参照

『やっぱり世界は文学でできている』
世界は言葉でできている
東大・沼野教授と新しい「読み」の冒険に出かけよう
対談者:亀山郁夫野崎歓、都甲幸治、綿矢りさ楊逸多和田葉子

『それでも世界は文学でできている』
人間にとってお金よりも大事な(本当だぜ!)文学のために
世界文学の膨大さと多様性は圧倒的だ
対談者:加賀乙彦谷川俊太郎辻原登ロジャー・パルバースアーサー・ビナード

『8歳から80歳までの世界文学入門』
文学には希望がある
本を読むのに早すぎるも遅すぎるもない!
対談者:池澤夏樹小川洋子青山南、岸本佐和子、マイケル・エメリック

『つまり、読書は冒険だ。』
世界文学六カ条
21世紀文学のフロントランナーたちが登場!
対談者:川上弘美小野正嗣張競、ツベタナ・クリステワほか

 

 

それでも世界は文学でできている 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義3

それでも世界は文学でできている 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義3

 
8歳から80歳までの世界文学入門

8歳から80歳までの世界文学入門

 
つまり、読書は冒険だ。 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義5

つまり、読書は冒険だ。 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義5

 

 

 

 

 

 

 

 

一期は夢よ ただ狂え 閑吟集

 

「何しようぞ  くすんで  一期は夢よ  ただ狂え」
閑吟集より)

 

何になるだろう
真面目くさってみたところで
しょせん、人生は短い夢よ
ただひたすらに面白おかしく
遊び暮らせ

 

 

閑吟集(かんぎんしゅう)とは

 室町時代後期の小歌の歌謡集。永正15年(1518年)に成立。ある桑門(世捨て人、出家した修行者)によってまとめられた歌謡集で、編者は不明。室町びとが感情を託して歌った311首がおさめられている。恋愛歌が中心。小歌230首のほか、大和節・田楽節・早歌・放下歌・狂言小歌・吟詠などを収める。

 

「何しようぞ  くすんで  一期は夢よ  ただ狂え」

 閑吟集のなかのひとつだが、印象に残る歌だ。大意は「真面目に生きたところで何になろう。人生は所詮、幻のようなもの、我を忘れて何かに興じよ」か。
 本来は恋愛歌からきているので、根本的には男女愛欲の海のなかで両手両脚を奔放になげだし狂い游ごうよという意味。

くすんで = 真面目くさる、生真面目である、悟りすます
一期(いちご) = 人の一生、生涯
夢 = あっという間に消え去る「はかないもの」の例え
ただ狂え = 狂ったように一生懸命生きればいい

 

無常観から享楽主義へ

 仏教的無常観によって悟りを求める現実拒否の悲観的な考え方を否定し、享楽的に人生を送ろうという現実肯定的な内容の歌。「憂き世(つらい世の中)」を「浮世」としてとらえ始めた室町時代末期の風潮を背景にしている。weblio古語辞書より)

 

人生の終わりに思う

 我が人生の来し方行く末を鑑みても、可もなく不可もない、しょぼくれた人生がだらだらと続き、ある日だれにも知られず、あっけなく死んでいくのだろう。思いどおりにならない人生前半戦もとうに過ぎ、気がつけば、はや終盤にも達しようかという齢に。ひとは人生の終わりになってやっと「一期は夢よ」、そう思うのだろう。

 

 

世間はちろりに過ぐる  
ちろりちろり

何ともなやなう  何ともなやなう
浮世は風波の一葉よ

何せうぞ  くすんで
一期は夢よ  ただ狂へ

 

 

一期は夢よ、ただ狂え

一期は夢よ、ただ狂え

 
新訂 閑吟集 (岩波文庫)

新訂 閑吟集 (岩波文庫)

 
閑吟集を読む

閑吟集を読む

 
閑吟集―孤心と恋愛の歌謡 (NHKブックス (425))

閑吟集―孤心と恋愛の歌謡 (NHKブックス (425))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知らないことはスマホでググる

 

 

知らないことは調べる
スマホググる、とにかくググる
それでもわからないときは本を買う

 

 

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スルーしないでその場で調べる

 普段、本を読むときに特別に心がけていることなど、あまりないのですが、なにか無意識にいろいろなことをしているようです。
 そのひとつに、読めない漢字や忘れてしまった漢字が出てきますが、そんなときはなるべくそのままにしないで調べるようにします。いまの時代、スマホでかんたんに調べられますから。そして読みや意味を同じようにスマホにメモしておきます。そうすると自分だけの辞書ができます。漢字だけでなく、知らない用語も同じように調べ、またちょっとしたひと言なんかもメモしておきます。

 

調べることをクセにする

 以前は、わからないことは辞書で調べるか、あるいは人に聞くという手段くらいしかありませんでした。ネット検索できる現在は、おおよその情報を即時に把握でき、また画像検索もできます。名前はわかるけど顔がうかばない、時事用語を知りたい、テレビやラジオで取り上げられた本を調べるなど、ググればその場で知ることができます。調べた本は購入することも可能ですしね。とにかく、すぐに調べられるわけですから、これをクセにしてしまうことです。

 

生活や学習のクオリティをあげてくれる

 Wikipedia などネット上の辞書にはときに誤りがあったり、Google翻訳も品質的に疑問が残ることもありますが、おおよその情報は得られます。そのような心配をするより、まずググってみる。それでもわからなければ、その関係の本を見てみる。そして自分で考える。これが生活や学習のクオリティを確実にあげてくれます。

 

 

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父親の質問には検索して答えていた

 研究者で大学教員、メディアアーティストの落合陽一は小さい頃から父親によく質問をされていたという。その質問にスマホでググって調べてから答えるようにしていた。8歳からインターネットをやっていた彼は、とにかく知らないことわからないことがあればすぐに検索していたのだ。

 

わからないままにしているのはもったいない

 昔はネットがなかったので、ググるなんて言葉もなかった。しかしいまは調べようとする意思があるかどうか。つまりだいたいのことは調べればわかるのに、「わからないことをわからない」ままにしている姿勢の人間はもったいない、と話す。

 

わかるようになるまで調べる

 落合陽一はこう続ける。わからないことを学ぶために大切なのは、頭の良さではなく、「しつこさ」だという。わかるようになるまで調べる。「 Aの本では〇〇といっているのに、Bの本では△△って、主張がちがうじゃん。どっちが本当か徹底して調べなきゃ気がすまない」と。

 

10年後の仕事図鑑

10年後の仕事図鑑

 

 *上記の紹介書籍は今回の本文内容とは関係ありません

 

 

 

 

 

 

 

村上春樹 ロシア語版

 

 

村上春樹が、はじめて自分自身について真正面から綴った
エッセイ集『走ることについて語るときに僕の語ること』
今回は、そのロシア語版です

 

 

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(ロシア語版)

 

ХАРУКИ  МУРАКАМИ 
「ハルキ ムラカミ」

О ЧЕМ Я ГОВОРЮ, КОГДА ГОВОРЮ О БЕГЕ 
「走ることについて語るときに僕の語ること」

 

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 『走れ、歩くな』

 2007年、文藝春秋より刊行された「走ること」と自身の小説執筆の相関性を語るエッセイ。一部を除き、書き下ろしの作品。上記の写真はそのロシア語版になる。
 タイトルはレイモンド・カーヴァーの短編小説『愛について語るときに我々の語ること』に由来する。なお本書は1998年頃から出版が予定されていて、そのとき村上が考えていたタイトルは『走れ、歩くな』だった。なお、本書は世界各国の言語に翻訳されている。Wikipediaより)

 

翻訳言語

英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語カタルーニャ語ガリシア語、オランダ語ポルトガル語デンマーク語、ノルウェー語、スウェーデン語、フィンランド語、ポーランド語、チェコ語スロベニア語、ハンガリー語ルーマニア語ロシア語トルコ語ヘブライ語、中国語、韓国語、ベトナム語Wikipediaより)

 

 

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

映画『万引き家族』 パルム・ドール作品

 

盗んだものは、絆でしたが ...
何が正しくて何が幸せかを判断するのは難しい

 

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パルム・ドール

 親の死亡届を出さずに年金を不正に貰い続けていたある家族の実際にあった事件をもとに、是枝が家族や社会について構想10年近くをかけて考え、作り上げた。
 第71回カンヌ国際映画祭において、最高賞であるパルム・ドールを獲得した。日本人監督作品としては、1997年の今村昌平監督の「うなぎ」以来21年ぶり。

 

あらすじ

 東京の下町に暮らす、日雇い仕事の父・柴田治とクリーニング店で働く治の妻・信代、息子・祥太、風俗店で働く信代の妹・亜紀、そして家主である祖母・初枝の5人家族。家族の収入は初枝の年金と治と祥太が親子で手がける「万引き」。5人は社会の底辺で暮らしながらも笑顔が絶えなかった。
 冬のある日、近所の団地の廊下にひとりの幼い女の子が震えているのを見つけ、見かねた治が連れて帰る。体中に傷跡のある彼女「ゆり(のちに、りん)」の境遇を慮り、「ゆり」は柴田家の6人目の家族となった。
 しかし、柴田家にある事件が起こり、家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれの秘密と願いが次々に明らかになっていく。

 

母性と法律

 街角のスーパーで万引きをする父のリリーフランキーと息子の祥汰、祖母の樹木希林、妻の安藤サクラ、風俗で働く彼女の妹で松岡茉優の5人の家族。ある日、虐待を受けていた女の子りんを父が連れて帰り、母性という名の絆の物語が始まる。
 駄菓子屋で祥汰が、5歳のりんに万引きをさせるシーン。祥汰の万引き行為を知っており許していたおじいさん(柄本明)が、妹にだけはさせるなと注意する。ここは祥汰と妹りんへの母性を感じさせる。また風俗嬢の亜紀こと松岡茉優を、血のつながらない孫にも関わらず彼女を愛する樹木希林の母性。そして妻安藤サクラの、すれすれの状況で生きているリリーフランキーへの母性がある。特に印象に残るのは、安藤サクラがりんを育てるという母性だ。職場でりんの誘拐を知られてしまうと、バラしたらお前を殺すとまでいう。
 法律のなかで生活する市井の人々。この家族はすでに法律の外で生きている。その法律によって捕われ、解体され、取り調べで子どもを持てなかった母性が崩壊していく。 
 こまったもの同士が助け合い、血がつながっていなくても支えあう家族。人類が誕生し、法が生まれるまではこのような世界であったかもしれない。悪にも理由があるかのように。

 

俳優の個性を尊重

 是枝監督は、俳優の個性を優先させるために、ときに役者にセリフの一部を任せるらしい。だから場面によって役者のアドリブもあるとか。これが上手くいけば自然の流れが期待され良い結果につながるが、役者本人の想像力とセンスが必要になる。ややもすると、現実的で俗っぽいもので終わってしまう可能性もあるということ。
 ラストで妻の信代が捕まり、取り調べの若い女性警察官に確か「あなたが産んだ子じゃないから母親にはなれないのよ」と言われ、両手で涙を何度も拭うシーンがある。たぶんこの演技も役者に任せたのだろう。監督の思惑通り、印象に残るほどの何とも言えぬいい演技だった。ただ、このときの信代の返しのセリフが「そうね ... 」だった。なおさら、ここでは何かヒカる「ひとこと」があるとよかった。

 

 

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(祖母の初枝を演ずる樹木希林と妻信代の安藤サクラ

 

 

 

 

 

吉本隆明 『読書の方法』

 

なにを、どう読むか

偉大な思想家・詩人であり、また類まれな読書家でもある著者が、読書をとりまくさまざまな事柄について書いた、はじめての読書論集成。

 

読書の方法―なにをどう読むか (光文社文庫)

読書の方法―なにをどう読むか (光文社文庫)

 

 

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吉本隆明(よしもとたかあき)
1924 - 2012年。東京月島生まれ。日本の詩人、評論家。東京工業大学電気化学科卒。東京工業大学世界文明センター特任教授。「隆明」を音読みして「りゅうめい」と読まれることも多い。漫画家のハルノ宵子(はるのよいこ)は長女。作家のよしもとばななは次女。代表作は『固有時との対話』『転位のための十篇』など。2012年、肺炎で死去。享年87歳。
影響を受けたもの。今氏乙冶、宮沢賢治高村光太郎萩原朔太郎など。

 

 

読みおわったらなにもない

 ここ一年間で、小説やら何やら新刊本を百冊近く読んでみたんです。正直な感想を言わせていただけば、やっぱりこりゃまいったなぁー、そうとうひどいなぁー(笑)。
 いわゆる大衆小説には、面白おかしいものがたくさんあるんです。登場人物も、比較的健全ですしね。しかし、たしかに読んでりゃ楽しいが、読み終わったらなにもない。僕自身の中流意識は満足できても、僕のなかの深刻な部分は、” あれ~!? ” と思わざるをえないわけです。やっぱり、主人公に ” おまえ、そんな健全さでいいのか? ” といいたくなっちゃう(笑)。

 

いまの純文学はちっとも新しくない

 ろくな主人公が出てこないんですねぇ。性的不能者、倒錯者、精神を病んでいたり、おかしなやつばっかり(笑)。たしかに病的なのは文学の特権でもあります。病的な登場人物が、文学者の鈍感さの証明だとしたら予言的ですらあるんです。
 ところが、いまの純文学は読んでいても、ちっとも新しくない。この程度の異常さを読み取るなら、経済統計でも眺めていたほうが、よっぽどいい。

 

この次に何を書くか期待させる作家

 たとえば、この東京という都市を扱うにしても、進歩か退廃かという原理的な視点からは、何も見えてこない。東京はきわめて便利で、しかも退廃しているという意味では、不気味な都市なんです。
 そこで未来に挑戦している村上春樹村上龍は、ホープだと思いますね。ときどき、 ” 通俗的でかなわんよな ” とは思っても、成功しているときは、やはり凄い。都市のわからない部分、気味悪いところへ感覚で挑んでいく。この次に何を書くかなと期待させる作家は、この二人だけだね。

 

大女流作家の王道を歩く

 女流では、一時の山田詠美さんには ” これは凄まじいぜ ” って迫力があった。こんなスゲエことをババアになるまで書き続けるのか(笑)。しかし、いまはわかんないところがないんです。あれは、何を書くのかわかっているよさですね。ますますウデも良くなって、大女流作家の王道を歩いている。
 僕は、何から読み始めてもいいと思うんです。現代文学がつまらない人は、夏目漱石とか芥川龍之介太宰治などの一昔前の新古典から読み出すのもいい。むろん評論でもいいし科学本でもいい。

 

書物は滅亡するメディア

 このままいけば、客観的に考えて、書物は滅亡するメディアです。即時性も、同時性も、ない。新たな性格を与えないと生き延びられないかもしれませんね。もちろん、開かれた書き方をする作家も必要だが、開かれた読み方をする読者の出現を期待しているんです。
 ” 自分が読みにくいものばかり書いているのに何だ ” と言われれば、” はい、もうしわけありません ” と言うしかないけれど、なかなか理想通りにはいかないんですよ(笑)。

 

2001年11月・光文社刊
2006年5月初版『読書の方法』より抜粋

 

 

 

 

 

 

 

『日本の名著』 この50冊の名著を読む理由

 

私たちは近代の思想遺産、少なくともこれらの50の名著は活用せねばならぬはずである

 

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日本の名著―近代の思想 (中公新書)

日本の名著―近代の思想 (中公新書)

 

 

『日本の名著』  近代の思想(改版)桑原武夫

 人間は虚無から創造することはできない。未来への情熱がいかに烈しくても、現在に生きている過去をふまえずに、未来へ出発することはできない。
 私たちは、明治維新から1945年までの日本人の思想的苦闘の跡をどれだけ知っているであろうか。日本の未来を真剣に構築しようとするとき、私たちは近代の思想遺産 ― 少なくともこれらの50の名著は活用せねばならぬはずである。
 私たちは近代国民としての自信をもって、過去に不可避的であった錯誤の償いにあたるべき時期にきている。(本書より)

 

すぐれた作品がきわめて多い

 『日本の名著』というタイトルで、明治維新から1945年までのすぐれた本を選びだしており、それぞれに解説がついている。この95年間にはすぐれた作品がきわめて多いという。文学上の創作は除き、そこで対象を哲学、政治・経済・社会、歴史、文学論、科学にかぎり、「近代の思想」という副題をつけている。夏目漱石など文学者は、評論から選び、創作は除いてある。
 ここでは、その50の本のタイトルを挙げておきます。各著者の紹介文を読んでいるだけでも人生の縮図をみているようで面白く、当然その著書にも興味がわいてきます。

 

福沢諭吉 『学問のすゝめ』
田口卯吉 『日本開化小史』
中江兆民 『三酔人経綸問答』
北村透谷 『徳川氏時代の平民的理想』
山路愛山 『明治文学史
内村鑑三 『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』
志賀重昂 『日本風景論』
陸奥宗光 『蹇蹇録(けんけんろく)
竹越与三郎『二千五百年史』
幸徳秋水 『廿世紀之怪物帝国主義

宮崎滔天 『三十三年之夢』
岡倉天心 『東洋の理想』
河口慧海 西蔵チベット旅行記
福田英子 『妾(わらわ)の半生涯』
北一輝  国体論及び純正社会主義
夏目漱石 『文学論』
石川啄木 時代閉塞の現状
西田幾多郎善の研究
南方熊楠 『十二支考』
津田左右吉『文学に現はれたる国民思想の研究』

原勝郎  『東山時代に於ける一縉紳(しんしん)の生活』
河上肇  『貧乏物語』
長谷川如是閑『現代国語批判』
左右田喜一郎『文化価値と極限概念』
美濃部達吉憲法撮要』
大杉栄  『自叙伝』
内藤虎次郎『日本文化史研究』
狩野亨吉 『狩野亨吉遺文集』
中野重治 『芸術に関する走り書的覚え書』
折口信夫 『古代研究』

九鬼周造 『「いき」の構造』
中井正一 『美と集団の論理』
野呂栄太郎『日本資本主義発達史』
羽仁五郎 『東洋における資本主義の形成』
戸坂潤  『日本イデオロギー論』
山田盛太郎『日本資本主義分析』
小林秀雄 私小説論』
和辻哲郎 『風土』
タカクラ = テル『新文学論』
尾高朝雄 『国家構造論』

矢内原忠雄帝国主義下の台湾』
大塚久雄 『近代欧州経済史序説』
波多野精一『時と永遠』
小倉金之助『日本の数学』
今西錦司 『生物の世界』
坂口安吾 『日本文化私観』
湯川秀樹 『目に見えないもの』
鈴木大拙 『日本的霊性
柳田国男 『先祖の話』
丸山眞男 『日本政治思想史研究』

 

総勢15名での選定と分担執筆

 上記の書目選定や解説については、桑原武夫をはじめ親しい友人など、以下15名の分担執筆によるもの。なお、本書執筆は1962年頃であり、選ばれた50の本のうち入手困難なものもあると想像できる。機会があれば古本屋をめぐり、探しだすのも楽しい作業になるかもしれない。

飛鳥井雅道 京都大学人文科学研究所
飯沼二郎  京都大学人文科学研究所
井上 健  京都大学理学部
上山春平  京都大学人文科学研究所
梅原 猛  立命館大学文学部
加藤秀俊  京都大学人文科学研究所
川喜田二郎 東京工業大学理工学部
河野健二  京都大学教養部
桑原武夫  京都大学人文科学研究所
高橋和己  立命館大学文学部
多田道太郎 京都大学人文科学研究所
橋本峰雄  神戸大学文学部
樋口謹一  京都大学人文科学研究所
平山敏治郎 大阪市立大学文学部
松田道雄  医学博士

以上、共同執筆者(五十音順 所属は執筆時)

 

 
桑原武夫著『文学入門』