きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

ショーメ 時空を超える宝飾芸術の世界

  

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歴史の中のショーメ  
Chaumet Throughout History

 

CHAUMET

1780年フランスで創業。ナポレオン皇帝一族をはじめ、国内外の多くの貴族に愛された名門宝石商。歴史を育んだ華麗な宝飾品の一部は、現在もヴァンドーム広場のショーメ・ミュージアムに所蔵されている。

 

戴冠衣裳の皇帝ナポレオン1世

1799年に政権を獲得した後、ナポレオンは1804年にフランス皇帝の座についた。華々しいフランス王の偉大な伝統に属するこの肖像画(下)は、権力を示すあらゆる象徴に囲まれた、戴冠式の衣装に身を包んだ姿のナポレオンを描いている。王座、月桂冠、レジオン・ドヌール勲章頸飾、王笏(おうしゃく)、正義の手の杖、そしてフランス王に由来するダイヤモンドで飾られた剣。この上なく壮麗なこれらの宝石のセットを担当したのは、ショーメの創業者、マリ=エティエンヌ・ニトである。

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フランソワ・ジェラール 1806年

 

皇帝ナポレオン1世より贈呈された教皇ピウス7世のティアラ

教皇ピウス7世のティアラは、1804年12月2日のパリ・ノートルダム大聖堂における戴冠式に出席した教皇に感謝の意を表明するため、皇帝ナポレオンによって依頼された外交的な贈りものである。このティアラをローマへ運んだのは、当時26歳のニトの息子、フランソワ・ルニョーであった。
本展覧会において、ヴァチカンはこのティアラの修復をショーメに委任し、また《ユリウス2世》として知られる特別なエメラルドの上に載せる新たな十字架の制作を任せた。

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1804-1805年(後世に数回修正)

 

「ジョセフィーヌ」リング

メゾンの最初のミューズである皇妃ジョセフィーヌに敬意を表して、ショーメは優雅でエレガンスなスタイルを保ち続けている。宝石の輝きにより、一層洗練されたデザインは、現代的な曲線をもって235年間の歴史を称えている。

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「ロイヒテンベルク」として知られるティアラ

このティアラは、皇妃ジョセフィーヌの後裔(こうえい)にあたるロイヒテンベルク家に由来するもので、8つの部品から成り、計698個のダイヤモンド、32個のエメラルドがかめ込まれている。中央の花には、コロンビアからもたらされた六角形のエメラルドが設置されているが、その重さはほぼ13カラットにも及ぶ。本作は変形の技術とトランブルーズのはめ込み技術という重要な特徴を備えている。

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麦の穂のティアラ

ローマ神話における農耕を司る女神ケレスのアトリビュートであり、繁栄と多産の象徴である麦は、第一帝政期のジュエリーにおいて人気のあったモティーフであった。皇妃ジョセフィーヌは麦の穂のティアラを着用することを好んだが、それらは本作同様に9本の穂をあしらい、ゴールドとシルバーのマウントに66カラット以上のアンティークカット・ダイヤモンドをはめ込んだものであった。

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ジョゼフ・ショーメ《6羽のツバメの連作》
1890年  プラチナ、ゴールド、ダイヤモンド

 

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ニト・エ・フィスに帰属《ナポリ王妃カロリーヌ・ミュラのバンドー・ティアラ》
1810年頃  ゴールド、真珠、ニコロアゲート

 

 *上記の記事は入場の際に配布されたパンフレットより抜粋しています

 

 

 

 

 

 

 

 

歴史の行間 米原万理

 

 

歴史の行間で
見過ごされちゃうものを
よみがえらせて
生きた人間として描きたい

その人たちの日常をつぶさに知ると
他人ごとではなくなってくる

 

 

米原万理 2003年「小説という手段」

 

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

 
マイナス50℃の世界 (角川ソフィア文庫)

マイナス50℃の世界 (角川ソフィア文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

映画 『カメラを止めるな!』

 

低予算でも無限の可能性を
秘めた映像作品に

 

 

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カメラを止めるな!

 この映画を知らないままでいることはあまりにも勿体ない、それほど発想と工夫を凝らした1本だ。それゆえに今回はあらすじの紹介が簡単にできない。だが観客は予備知識がなくても楽しめる。本作はゾンビ映画のようにみえるが、そうでないとも言える。とにかく特筆すべきはその手法とアイデア、そして映像の構成だ。ここに無限の可能性を見出す。とにかくぜひご覧頂きたい。

 

 

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『ロシア語だけの青春』 黒田龍之助

 

外国語を学ぶ楽しさを
愛情を持って語ってくれる
黒田龍之助の最新エッセイ です

 

ロシア語だけの青春: ミールに通った日々
  

 

厳しくも楽しいミール・ロシア語研究所の日々
黒田先生が青春時代を振り返る

 ロシア語学習にいそしむヘンな高校生が人気語学教師になるまでの、厳しくも楽しいミール・ロシア語研究所の日々。外国語を学ぶ楽しさを語らせたら右に出る者はいない黒田先生が、青春時代を振り返る。

 

黒田龍之助(くろだりゅうのすけ)

1964年東京生まれ。日本のスラヴ語学者、言語学者。執筆と講演を中心に活動している。上智大学国語学部ロシア語科卒。東京大学大学院露文科博士課程単位取得満期退学。東京工業大学助教授(ロシア語)、明治大学理工学部助教授(英語)、2007年に退職。NHKテレビ及びラジオのロシア語講師を務める。父は落語家の6代目柳亭燕路。母は絵本作家のせなけいこ。妻はチェコ語学者の金指久美子。 
主な著書に『外国語の水曜日 学習法としての言語学入門』『羊皮紙に眠る文字たち スラヴ言語文化入門』『『ロシア語のしくみ』など。

 

 

『ロシア語だけの青春・ミールの通った日々』

 わたしはここに、ミール・ロシア語研究所の物語を書き留めようと思う。高校3年生から10年以上、多くの時間を費やしてここに学び、のちには教えることになった大切な母校。ロシア語のことしか考えていなかった青春の日々。いま振り返れば、あまりの恥ずかしさに居たたまれないほどなのだが、混乱する現在の外国語教育をもう一度考え直すため、恥を忍んでここに記すのである。(本書プロローグ)

 

その先はロシアだった

 1982年早春、午後6時の代々木駅。西口には予備校が林立し専門学校や政治政党などもあって、人どおりが激しく賑やかだ。それに比べると東口はひっそりとしている。入口に扉はなく、いきなり狭くて古い階段である。薄暗くて、入るのにちょっと躊躇うが、看板が出ているのだから間違いない。その先はロシアだった。

 

アネクドートという小咄

 アネクドートといわれても、あまり馴染みがないかもしれない。逸話、奇談、さらには風刺小話などと説明される。英語でも anecdote という。ところが、これがなんとも微妙なのだ。

「アフリカと月とでは、近いのはどちらでしょうか?」
「月です」
「月ですって? どうしてそう思うのですか?」
「だって月は見えますが、アフリカは見えませんから」

 

あなたは何年に生まれましたか

多喜子先生は、わたしにロシア語で質問した。

Как вас зовут? 《お名前はなんとおっしゃいますか?》
《黒田といいます》

В каком году вы родились?  《あなたは何年に生まれましたか?》
 生まれた年?  これは予想していなかった。
《ええと、せんきゅうひゃ...  》」

Я родился в тысяча девятьсот шестьдесят четвёртом году.
《わたしは1964年に生れました》

 これがどうしてもいえないのである。先生に助け船を出してもらって、発音するのがやっと。ボロボロだ。なんとも不甲斐ない。
 後にロシア語教師になって分かったことなのだが、数詞がきちんと使いこなせるかどうかは学習者のレベルを判断するときに有効である。外国語の読解では、多くの学習者が数詞を疎かにしている。

 

 

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ウダレーニエが弱いんです!

 入門科では『標準ロシア語入門』(白水社)を使って学習する。著者は東一夫先生と多喜子先生ご夫妻。つまり市販されているはいるが、これはミールのための教材といっても過言ではない。
「ウダレーニエが弱いんです!」
 ロシア語の単語は、音節のどこか一箇所が他に比べ強く、そしてすこしだけ長めに発音される。これを「ウダレーニエ」という。英語風にアクセントということもあるが、とにかくミールではこのウダレーニエを、思い切り強調して発音しなければならない。それがひどく難しいのである。

 

突然の閉校

 2013年2月、わたしはNHKのスタジオで、ラジオ講座まいにちロシア語」の収録をしていた。テキストの編集者がふと、こんな話をした。
「そういえば、ミールが閉校になるらしいですね」
..... え?
「黒田先生はかつて、ミールに通っていらしたんですよね」
「ご存じありませんでしたか。人づてに聞いたのですが、3月いっぱいで終わりらしいですよ」
「外国語の勉強の仕方をここで学んだ。建て付けが悪く、薄暗い教室で同じやり方を続け、ここだけ時が止まったようだったが、永遠ではなかった」

 2013年8月24日、多喜子先生は最後の授業をおこなった。今度こそ本当に最後である。授業終了後、生徒たちは会食を計画したが、先生は参加しなかった。すべてが終わった。わたしはひと月後に、49歳になろうとしていた。

 

ミール・ロシア語研究所

 ミール・ロシア語研究所は1958年6月に創立され、2013年に閉校した。55年もの長きにわたって、多くの生徒が学び、ロシア語の専門家として巣立って行った。この学校は東一夫先生、東多喜子先生ご夫妻が中心となって教えておられました。

 

 

東京毎日新聞 2013年4月2日 地方版記事より

 都内でも数少ないロシア語専門の学校の一つ「ミール・ロシア語研究所」(渋谷区千駄ヶ谷5)が、55年の歴史を終える。発音を中心に基礎を徹底的に指導し、個人経営で生徒が数十人程度の小規模校ながら大学教員、通訳、大使館員らを多数輩出した。しかし、亡夫の後を継いだ経営者の東(あずま)多喜子(たきこ)さんが今年76歳になり「心身ともに限界、潮時」と閉校を決めた。【青島顕】

 出身者らによると、ロシア語で「平和」「世界」の意の「ミール」は、翻訳者の東一夫さんが1958年に都内で開校。まもなく、JR代々木東口の雑居ビルの2室に移り、多喜子さんや教え子らが講師を務めた。一夫さんは、05年に死去した。

 厳しい指導で知られ、宣伝をほとんどしなくても口コミで生徒が集まった。レベルごとに1クラス7人前後で構成。週2回の授業では、一人一人にテキストを読ませて発音を矯正した後、決められた範囲の露文を暗記してきたかチェックする方式がとられた。

 欧米や中国、韓国語に比べて学習者が少ないロシア語だが、50年間講師を務めた多喜子さんは「今後も隣国だから重要言語であり続ける」と学習を勧める。東夫婦の共著で入門クラスのテキストでもある「標準ロシア語入門」(白水社)は、「71年の刊行以来、改訂版を含め4万部発行された当社の語学書で指折りのロングセラー」(担当者)だ。同書にはこんな例文もある。「すべての国でロシア語を学んでいる人の数がふえています」

 

 

 

 

 

 

 

 

等身大の大江健三郎

 

等身大の大江健三郎が垣間見れる
106 の質問に立ち向かう 

 

大江健三郎 作家自身を語る

大江健三郎 作家自身を語る

 

 

安部公房村上春樹についても語る

 本書『大江健三郎 作家自身を語る』の巻末に大江健三郎への 106 の質問が挙げられている。たとえば、一日の過ごし方や、お酒は飲まれるのか、面白い本の探し方、安倍公房との不仲について、1億円あったら何に使うか、語学の勉強法について、村上春樹について、など興味深い質問が続く。ここでは等身大の大江健三郎の姿が垣間見れる。
(下記はその抜粋)

 

面白い本は、どうやってお探しですか。

たいてい3年単位でひとつの主題を続けます。渡辺一夫さんに教わって、40年以上続けています。その積み重ねで面白い本が浮かび上がってきます。その定まった主題より他では、外国の新聞の書評をよく読み、信頼する同世代の研究者の友人に教わります。ところが、運命のようにポカンと、なにより大切な本が手に入ることがあるのです。

 

日本の古典文学で一番影響を受けた作品は?

私はまったくの素人ですが、長篇小説では『源氏物語』、中篇小説(フランス語ならレシですね)なら、西鶴の『好色五人女』、そして短篇小説なら、―  そうかな?  と思われるでしょうが、『枕草子』です。私はずっと前に出た『新潮日本古典集成』をベッドのなかや電車で愛読しました。

 

もし戻れるなら、何歳に?

22歳に。小説を書き始めないで語学力をしっかりつけて、渡辺一夫さんのもとで専門勉強をします。その後でなら、いつだって小説を書き始められたでしょうから。

 

安部公房さんと一時期、絶交されたというのは本当ですか。

大学闘争の時期、安部さんから電話があって、朝日新聞で学生たちを批判する対談を準備した、ともちかけられました。私がそれはしない、と答えると、―  それじゃ、きみと友人でいても仕方ないな、といわれ、―  クソッタレ!  と私が応じて絶交しました。それから、本気で仲直りすることがあった、とは思いません。あの人は友人にしてもらうより、天才としてその作品を読んでいることで幸いでした。

 

大学の文学部は何を学ぶところでしょう。

外国語と、この国の古典の言葉を読む力をつけるところです。

 

語学の勉強で大切なことは?

辞書をていねいに引くこと。本当に自分に大切に思える文章(詩でも)は、カードにうつして覚えてしまうこと。赤線を引いた本を、時をへだてては何度も読みかえすこと。わかりにくい文章(詩でも)は、自分の日本語に訳してみること。2つの外国語でひとつの作品を読み合わせる習慣を作ること。

 

蔵書の整理などはよくなさいますか。

毎日している、と家内はいっています。理想的には、さらにいまの10分の1にしたい。そしておしまいの日々、それらすべてを苦労せず見あげられる場所にベッドを置きたいとねがいます。

 

新聞やテレビの日本語で、これはやめて欲しい、という言葉やいい方はありますか。

やめて欲しい、の、欲しいというのは関西のいい方だとなにかで読み、私はして欲しい、やめて欲しいといったことがありません。それでも「美しい国」「凛とした」「鳥肌が立つ」「 ~ 力」などがイヤです。

 

今、一番の願いごとは?

東アジアの非核化。あいつ(複数)の消滅。

 

無人島に一冊だけ本を持って行けるとしたら、何を選ばれますか。

その時点で最大の(手に持てる範囲で)太陽電池式の電子辞書。

 

生まれ変わっても小説家に?

生まれ変わらぬことをねがっています。しかし、もし生まれ変わったら、私にはもう小説に書くことはないでしょう。この生涯において、才能とかそのスケール、高さなどはいわぬとして、とにかく私は小説家として怠けず働いたと、生まれ変わりをつかさどる役の存在がいたら、申したてるつもりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブレーメンの音楽隊 グリム童話

 

老いて家を追い出された動物たちが
力を合わせて新生活を切り開く

 

 Die Bremer Stadtmusikanten

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グリム童話の一遍

 グリム童話(ドイツのメルヘン集)の物語の一遍である。人間に捨てられ、あるいは食料にされようとした動物たちが一致協力して自分たちの新生活を切り開いていく。ただ、音楽隊なのに楽器を演奏していないし、ブレーメンの町を目指したのにたどり着いていない。

 

主人公は年老いた動物たち

ロバ・・・年を取って重い荷物を運べなくなり虐待されていた
イヌ・・・獲物を追えなくなって主人に追い出された
ネコ・・・ねずみを摂れなくなって追い出された
ニワトリ・・・皆に時間をしらせていたのに食べらそうになった

 

ブレーメンの音楽隊

 飼い主から逃げたロバは、木のねもとにあったギターとたいこをみつけました。「よーし、これをもってぼくもブレーメンの音楽隊にはいろう!」。しばらくして、年老いたイヌ、そしてネコ、ニワトリたちと出会い、いっしょにブレーメンを目指すのですが、途中お腹がぺこぺこになってしまいました。
 そのとき森の奥の方にあかりがみえました。家のなかをのぞいてみると、泥棒たちがごちそうをならべて酒盛りしていたのです。そこでみんなで知恵をしぼりました。
 まずロバの背中にイヌがのり、それからイヌの背中にネコがのり、最後にネコの背中にニワトリがのって、みんなで一斉に叫びたてました。泥棒たちはびっくり仰天して逃げていきました。動物たちはすっかりこの家が気に入って、ブレーメンに行くのをやめて、ここでいつまでも幸せに暮らしました。

 

仲間と協力して新しい世界を切り開く

 いまいる場所が自分たちにとって居心地が良くなくても、たとえ年老いてしまっても大丈夫。いつからでもどこからでも再スタートはできるし、幸せもみつけられるのです。年老いても仲間と協力して新しい世界を切り開いていきます。

 

 

ブレーメンのおんがくたい (世界傑作絵本シリーズ)

ブレーメンのおんがくたい (世界傑作絵本シリーズ)

 
ブレーメンの音楽隊

ブレーメンの音楽隊

 

 

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ドイツ・ブレーメン市庁舎横の音楽隊の像
下からロバ、イヌ、ネコ、ニワトリ

 

 

 

 

 

 

 

女子学生、渡辺京二に会いに行く

 

先生、私たちの生きづらさのワケを教えてください
『逝きし世の面影』の著者が贈る
目からウロコの人生指南

 

歴史家・渡辺京二
津田塾大学のゼミの学生たちによる
奇跡のセッションです!

 

 

渡辺京二(わたなべきょうじ)

1930年、京都生れ。大連一中、旧制第五高等学校文科を経て、法政大学社会学部卒業。評論家。河合文化教育研究所主任研究員。熊本大学大学院社会文化科学研究科客員教授熊本市在住。著書に『逝きし世の面影』『評伝 宮崎滔天』『北一輝』『アーリイモダンの夢』『もうひとつのこの世 石牟礼道子の宇宙』『近代の呪い』『幻影の明治』『無名の人生』『黒船前夜』など。

 

『女子学生、渡辺京二に会いに行く』

 本書は、歴史家・渡辺京二と、津田塾大学三砂ちづるゼミの学生たちによる、奇跡のセッション。子育て、学校教育、自己実現、やりがいのある仕事 ... いまの女子学生たちの様々な悩みに、近代とは何かを探求し続けてきた老歴史家が真摯に答えていく。私たちの社会に固有の生きづらさの起源を解き明かし、存在の原点に立ち返らせる、生きた思想の書。

以下は目次と「無名に埋没せよ」からの抜粋です。
・  はじめに三砂ちづる
1  子育てが負担なわたしたち
2  学校なんてたいしたところじゃない
3  はみだしものでかまわない
4  故郷がどこかわからない
5  親殺しと居場所さがし
6  やりがいのある仕事につきたい
7  自分の言葉で話すために ー 三人の卒業生
・  無名に埋没せよ渡辺京二

 

 

僕は社会に必要とされていない

 この間テレビを見ていたら、就職難でなかなか就職が決まらないという若い青年の話しが取り上げられていました。その青年が、「僕は社会に必要とされていない人間だ」というふうに言うんですね。僕は、この人は何を言うんだろうと、どこからこんな言葉が出てくるんだろうと思いました。これは場合によっては自殺につながりかねない発言ですね。社会に必要とされていないから、僕はもう生きていてもしょうがないと、こういうふうにつながっていく。

 

普遍的な悩み

 どこでそんな考え方を吹き込まれてきたのか。きっと学校で「君たちは社会が必要とするような人間になりなさい」とか、「社会に役立つような人間になりなさい」とか、そういうことを聞いてきたんでしょう。そうでないと、今のような言葉は出てこないんじゃないかと思うんですね。この青年は特殊かというと、そうじゃない。自分が社会に必要とされているかどうか悩み、結局必要とされていない、自分なんかいらない人間だというふうな、そういう落ち込み方は、わりと普遍的にあるのではないかと思うんです。 

 

生きる権利がある

 昔はまったくの一人の個人というのはなくて、ある家族に属している人間がいる。その家族というのも核家族ではない、大家族である。なぜ大家族かというと、家族が経営の単位だからです。農業や職人の仕事をしていく、他人も含んだ大家族です。そういう大家族があって、村や町内という集団がある。こういうふうに一人の人間はまず生きようとする。生きる権利がある。まず自分が生きるということがあって、社会が必要としようがしまいが、そんなことはその個人には何の関係もないはずなんです。

 

どうぞ生き延びてくれ

 人間というのは、自分のエゴイズムを一番最初に確認することから始まります。自分は押しのけてでも生きたい、ほかのやつが死んでも自分は生き残りたい、というのが出発点であります。たとえば明治の作家、島崎藤村の文学のモチーフは、「自分のようなものでも生きたい」というのが基調でした。自分のようなものでも生きていっていいのだと、それが根本なんでございます。人のためとか、社会のためなんて言うのは、次の次に出てくることで、人間というものは、生んでいただいた以上、生まれてきた以上、生き通す責任があるのです。あなた方の親は、あなた方が自分のために一生懸命生きて幸せになってくれれば、それが一番だと思っている。親は自分に尽くしてくれなんて思っておりません。
 望んでいるのは、生き延びてくれと。そこではエゴイズムがありますから、他人の子どもは死んでも自分の子どもは生き延びてくれ、と思っている。ともかくあなた方の親は、おまえ、どうぞ生き延びてくれ、しっかり生きてくれ、できれば幸せになってくれ、と言っているだけでございます。世の中に貢献しろ、なんて言ってはおりません。

 

人間はなんのために存在しているのか

 自分が生きていくということ、これが一番大事で、なぜそうなのかというと、この宇宙、この自然があなた方に生きなさいと命じているんです。わかるかな。
 リルケという詩人がいますが、彼は人間はなんのために存在しているんだろうと考えたのね。人間は一番罪深い存在だという見方も当然一面ではありますが、ごく自然に言って、人間は神様が作ったものじゃない。ビックバンから始まった宇宙の進化が創り出したのが人間という存在である。ではなんのために、この全宇宙は、この世界という全存在は、人間というものを生み出したのであろうか。

 

自分の美しさを誰かに見てほしい

 その時にリルケは世界が美しいからじゃないかと考えたんです。空を見てごらん。山を見てごらん。木を見てごらん。花を見てごらん。こんなに美しいじゃないか。ものが言えない木や石や花やそういったものは、自分の美しさを認めてほしい、誰かに見てほしい、そのために人間を作った、そうリルケは考えたのね。宇宙は、自然という存在は、自分の美しさを誰かに見てもらいたいために人間を作ったんだろうというふうに考えたんだねえ。

 

存在意義のない人間なんて一人もいない

 これは化学的根拠なんか何もない話で、とくに理科系の人は非科学的な哲学だというわけだね。でも哲学でけっこうなんだ。これは哲学なんだから。人間は、この全宇宙、全自然存在、そういうものを含めて、その美しさ、あるいはその崇高さというものに感動する。人間がいなけりゃ、美しく咲いている花も誰も美しいと見るものがいないじゃないか。だから自然が自分自身を認識して感動するために、人間を創り出したんだ。
 そう思ったら、この世の中に存在意義がない人間なんか一人もいないわけ。全人間がこの生命を受けてきて、この宇宙の中で地球に旅人としてごく僅かの間、何十年か滞在する。その間、毎年毎年花は咲いてくれる。そういうふうに毎年毎年花を見る、毎年毎年、ああ、暑かった、ああ、寒かったと言って一年を送る、それだけで人間の存在意義はあるんです。この社会に出て行って、立派な社会貢献をしたりしなくても、ごく平凡な人間として一生を終わって、それで生まれてきたかいは十分あるわけです。

 

無名に埋没せよ

 人間はテレビに出るような人物や国際舞台で活躍するような人間にならなくても、ごく平凡でかまわないんですよ。無名の一生で一つもかまわないんですよ。というよりもそれが基本なんです。この世の中で、テレビや新聞などに名前が出てる人たちの比率をとったら、名前も出ないし、そういうことにあまり関心もないという人間が圧倒的多数なんです。圧倒的多数はだから黙って生きて、黙って死んでいくのです。
 自分を取り巻いている自然を十分に楽しみ、男女の仲を楽しみ、生まれた子どものことを楽しみ、あるいは自分を取り巻いているいくつかの人間とのつきあいを楽しむ。もちろん失望や怒りも感じるだろうけど、しかし自分とは違う他人がいて、そのつきあいの中の楽しさもあった。それだけで十分、それが基本です。無名に埋没せよ、ということです。

 

 

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 ライナー・マリア・リルケ
Rainer Maria Rilke  1875 - 1926。オーストリアの詩人、作家。時代を代表するドイツ語詩人として知られる。プラハに生まれ、プラハ大学、ミュンヘン大学などで学び、早くから詩を発表し始める。日本においてリルケはまず森鴎外によって訳されたのち、茅野蕭蕭『リルケ詩抄』によって本格的に紹介される。『時祷詩集』『新詩集』『マルテの手記』など。

影響を与えたもの。ハイデガーサルトル堀辰雄立原道造三島由紀夫安部公房ほか

 

若き詩人への手紙・若き女性への手紙 (新潮文庫)

若き詩人への手紙・若き女性への手紙 (新潮文庫)

 
リルケ詩集 (岩波文庫)

リルケ詩集 (岩波文庫)

 

 

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)