『ガリバー旅行記』 ジョナサン・スウィフト
『ガリバー旅行記』
大の冒険好きで船医のガリバーが乗った船が大嵐にあいました。ある島で目覚めたガリバーはびっくり! こびとがまわりにぞろぞろ。そう「こびとの国」だったのです。
人間観察と風刺
『ガリバー旅行記』では、スウィフトはガリバーを「小人の国」「巨人の国」「学者の国」「不死の国」「馬の国」へと現実にはない国々(日本を除いて)に漂流させ、人間を様々な角度から観察し、また風刺しています。
(1) 寸法を変えてみる
(2) 科学技術のもたらす問題
(3) 異文化との接触による自己の相対比
(4) 動物から見た人間観
など、スウィフトの複眼的視野があります。
実は国家論の展開
ガリバー旅行記の18世紀は、市民社会の成立とともに、王・貴族・人民のせめぎあいのなかで政治体制が混乱した時代にありました。スウィフトは、王がいて議会があり国王の権限が議会によってコントロールされる政治体制を理想としたと言われています。
小人国、巨人国、学者国、馬の国すべて国家論を展開しているのは当時、スウィフトが、政治体制に強い関心があったことを示しています。
彼はイングランドから締め出され、アイルランドにおけるイングランド人の利益を代表していました。小人の国は当時の英国の縮図で、商業によって成り立ち、戦争、政争、宗教対立に明け暮れていたのです。一方、巨人の国は、農業で成り立ち、宮廷でも農夫でも家庭がきちんと存在し、人々が温かく親切です。スウィフトは巨人の国にユートピアに近いものを表現しようとしたのかもしれない。
キリスト教の禁欲から「快楽」がプラスの価値概念になり始めた時期で、快楽の増大(富)と行き過ぎた理性(馬の国)を牽制しながらスウィフトは、具体的な個々人の「幸福」に視点をおいていました。
ガリバーが訪れた唯一の国が日本
旅行記のなかで、ガリバーが訪れた唯一の国が日本でした。他はすべて架空の国なのになぜ日本を入れたのでしょうか。当時日本は鎖国状態にあり、ヨーロッパ人には、日本はまだ「想像の国」だったのかもしれません。ヨーロッパの小説ではじめて日本が取り上げられたのはこの『ガリバー旅行記』だと言われています。
しかし、スウィフトの意図は当時、日本との貿易については、オランダが独占しておりイギリスは激しい競争の末、撤退を余儀なくされた経緯がありました。スウィフトはヨーロッパの植民地への進出には批判的でしたが、とくにオランダに対しては、日本で「踏絵」をしてまでも日本の貿易で甘い汁を吸おうとしていることへの風刺のためにこの章を追記したと言われています。
スウィフトと夏目漱石
漱石はロンドン留学時に、イギリス文学を研究していました。その中でも、スウィフトの『ガリバー旅行記』は優れた皮肉や風刺に満ちた文学作品で最も称賛していました。「子どもにも読めれば、大人にも読んで趣味を覚える」という漱石の指摘はその通りで、その点は漱石の『吾輩は猫である』にも通じるものがあります。
漱石の「猫」は知的な皮肉やユーモアにあふれた小説で、また魅力的な人物が描かれています。子どもは猫が話しているという滑稽な状況を想像して楽しめるし、大人は諸先生のいい加減な会話を楽しめます。
また『坊っちゃん』は優れて政治的な小説であり、『ガリバー旅行記』も政治的なテーマが色濃く、漱石がスウィフトに影響を受けたと考えられています。
ワンピースのモデル
1998年から連載が開始の『ワンピース』は『ガリバー旅行記』がモデルとして共通項が多い。ワンピースの物語の展開手段が似ているといいます。巨人の島も出ており、島を冒険するたびに全く新しい世界と物語が生まれるところや、冒険を通じて世間に訴えようとしています。ラフテルという島が『ガリバー旅行記』にも出てきます。ほかにスタジオジブリ制作の『天空の城ラピュタ』や、Yahoo!(ヤフー)の命名も『ガリバー旅行記』からきているそうです。ガリバーの影響力ってすごいですね。
(白鳥義博さんの投稿記事より引用)
- 作者: ジョナサン=スウィフト,金斗鉉,Jonathan Swift,加藤光也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1992/02/15
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