きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

ユダヤ人の迫害理由とキリスト教の誕生

 

ユダヤ人はなぜ
ヨーロッパで迫害されたのか

エスはなぜ磔の刑に
処されたのか

 

 

 

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ユダヤ人はなぜ迫害されたのか


ユダヤ教から分かれたキリスト教イスラム

 ヨーロッパの問題を理解するには、キリスト教の基本的な考え方を理解しておく必要がある。キリスト教イスラム教は、どちらもユダヤ教から分かれた宗教である。そのキリスト教を知るにはユダヤ教を知らなければならない。ユダヤ教の教典といえば、『旧約聖書』だが、この中に「イサクの犠牲」という話が出てくる。

 

試されるアブラハム

 その話はユダヤ人の先祖とされるアブラハムという年老いた羊飼いが主人公だ。アブラハム夫婦は、男の子に恵まれなかった。そこに唯一の神ヤハウェがお告げをした。
アブラハム、おまえはきっと男の子を授かる」
 半信半疑だったが、本当に男の子が生まれた。イサクと名づけたその男の子を溺愛しそして神に感謝の気持ちを捧げるために、アブラハムは羊を焼いて生贄(いけにえ)とした。数年後、神がまたアブラハムにお告げを下す。
アブラハム、もう羊はいい、イサクを捧げなさい」
 大事な息子を生贄にしろというのです。

神への忠誠心が大事な宗教

 アブラハムはイサクの手を引いて羊を生贄にする台の上に載せ、イサクの頭の上から剣を振り下ろそうとした。
 ところが、そのとき天使があらわれ、こう言った。
アブラハム、わかった。もうよい。おまえの忠誠心は確かめられた」
旧約聖書』は、アブラハムのこの行動を引き合いに出して、「人間とはこうあるべきだ」と讃えている。つまりユダヤ教とは「親子の縁よりも神様への忠誠心が大事」という宗教なのである。

 

律法にそむいた者は死刑に

 このように「神が絶対」の厳しい宗教だから、ユダヤ教には生活のあらゆることを定めた神の掟がある。これを「律法」といって、守らなければ人々は救われないとされている。たとえば、安息日の規定。安息日とは「その日は一切の労働をしてはならない。ひたすら神に祈れ」という日。ユダヤ教の場合は、土曜日が安息日と定められている。
 土曜日は労働することを禁じられていて、律法にそむいた者は死刑になる。「安息日に働くのは神への反逆だ」というわけだ。食べ物にも決まりがあり、「豚肉を食べてはいけない」というのもそのひとつ。イスラム教にも同じ決まりがあるが、もともとはユダヤ教の律法に由来している。

 

異民族と融和せず独特の文化を持つユダヤ

 このようにユダヤ教は厳しすぎる律法のため、異民族には広がらなかった。ユダヤ人は歴史上、何度も迫害を受けて土地を追われてきた。ナチスヒトラーによる迫害は有名だが、それでもユダヤ人が滅びなかったのは「律法を守った者は天国に導かれ、異教徒は地獄に落とされる。われわれは神によって選ばれた民である」という強い信念のたまもの。これを選民思想という。
 だからユダヤ人は異民族と融和せず、独特の文化を保ってきた。しかし、このことが逆にユダヤ人が嫌われ、差別される理由にもなってきたのである。

 

 

 

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キリスト教ユダヤ教の対立


律法など意味がない

 キリスト教ユダヤ教の分派である。ユダヤ人の大工の子として生まれたイエスが、しばらく砂漠に行って、戻ってきたら説教を始めた。そこで衝撃的なことを言う。
「律法など意味がない」
 何を食べてはいけないか、安息日の土曜日に休むか休まないか、そんなことはどうでもいい、と言い放ったのだ。このイエスの言葉を喜んだのが、貧困層の人たち。こっそりと土曜日に働く人もいれば、豚肉をやむを得ずに食べる人もいたからだ。

 

キリスト教世界宗教になった理由

 律法を破ったからといって彼らは罪人なのか。「そんなことはない。心の底から神を信ずれば救われる」とイエスは説いた。律法という形式ではなく、信仰の心が大事。異民族でも、敵のローマ人であっても信仰すれば救われるということになる。これこそキリスト教世界宗教になった大きな要因といえるだろう。

 

エスを危険人物として告発

 ユダヤ教の指導者は「律法を汚された」と憤り、イエスを告発した。当時のユダヤは、ローマ帝国支配下にあったので「イエス貧困層を集め、ローマへの反逆を煽り立てる危険人物だ」という罪状で告発したのだ。エスは反逆罪で有罪とされ、磔(はりつけ)の刑に処された。

 

処刑されたイエスが蘇った

 このあと不思議なことが起こる。「処刑されたイエスが蘇った」という話が広まったのだ。イエスゴルゴタの丘で処刑されたのは金曜日。翌日が土曜日で安息日だ。これを避けて、葬式を日曜日に行なおうとしたら、仮埋葬の墓が開いていて中は空っぽだった。イエスが消えてしまったのだ。

 

エスの復活

 そのあと、イエスの弟子だった人たちから目撃証言がもたらされた。「処刑されたあとのイエスに会って話をした」という。
「日曜日の朝にイエスは復活した」
「神自らが、人々を悔い改めさせるためにイエスの姿になって地上にあらわれたのだ」こうして生まれたのがキリスト教である。

 

キリスト教ユダヤ教の対立理由

 イエス自身はユダヤ教の改革者で、「私は神だ」とは言っていない。ペテロやパウロといった弟子たちによって神として祭り上げられたのだ。ユダヤ教徒から見れば、律法を守ることは意味がないと説くイエスは裏切り者である。まして人間であるイエスを「神」と呼ぶなど言語道断。
 大工の息子であるイエスを神と認めるか認めないか。これがユダヤ教キリスト教の根本的な違いである。この一点において両者は絶対に相容れない。キリスト教徒とユダヤ教徒が対立する最大の理由なのである。

 

流浪の民としてのユダヤ

 ユダヤ人は「流浪の民」として有名である。イエスなきあと、ローマ帝国に対する2度の反乱を起こして失敗し、流浪の生活が始まった。定住しなければ農業もできないし、生活も安定しない。土地や建物など不動産も所有できない。だからユダヤ人は、金銀や宝石といった動産(不動産以外の財産)を積み上げるしかなかった。どこにいっても生計が立てられるように、やむなく「金貸し」になったのである。

 

ユダヤ教徒はますます孤立

 ローマ帝国の崩壊後に生まれたヨーロッパ諸国がキリスト教を採用したため、キリスト教を認めないユダヤ教徒はますます孤立した。キリスト教徒から見れば「よそ者のくせに、なぜ俺たちに合わせないんだ。しかも金貸しで儲けているなんて、けしからん」となる。こうした背景からユダヤ人はヨーロッパでたびたび迫害されてきたのである。

 

 

 

 

 

 

* 本書『ニュースの”なぜ?”は世界史に学べ』から備忘録用として要約しています
*使用写真は本書とは関係ありません

 

 

 

 

 

 

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