きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

地政学から見た「ロシア」 続くイギリスとの攻防

 

世界最大の面積を誇る大国
その領土は大半が冷帯と寒帯
そしていまも続くイギリスとの陣取り合戦

 

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最強最大のランドパワー国家

 20世紀初頭まではロシア帝国ロシア革命ソヴィエト連邦となり、冷戦終結後はロシア連邦となっているこの国は、ソ連崩壊時にかなりの領土を失ったにも拘らず、今なお世界最大の面積を誇る大国です。その領土は大半が冷帯と寒帯で、北半球で最も寒い地点もロシア領内に存在します。
 この寒さと広さがロシアを史上最強のランドパワー国家(海への出口が少ない内陸国家)にしたのです。

 

広さと寒さはもろ刃の剣

 マッキンダーは、「ユーラシア大陸の最奧部は難攻不落の安全地帯(ハートランド)」と言いました。 陸路で攻め込んだナポレオンのフランス軍も、ヒトラーナチス・ドイツ軍も、退却するロシア(ソ連)軍を追って広大な領土の奥深くへ誘い込まれ、厳冬の到来によって止めを刺されました。
 しかし、寒さと広さは短所にもなります。寒冷で広大なシベリアを開発し、人口を維持するのは並大抵の苦労ではありません。また、凍結してしまう港では貿易も軍事活動もままなりません。ロシアは19世紀からずっと、不凍港を手に入れようと、黒海へ、日本海へ、インド洋へと進出を試み続けてきたのです。

 

ロシアが持つ3つの顔

 ロシアという国のアイデンティティーには、3つのルーツがあります。第一に、9世紀頃ノルマン人によって建国されたノブゴロド国。第二に10世紀頃、独自のスラヴ文化を開花させたキエフ公国。第三に15世紀頃ビザンツ帝国を受け継ぎ、2世紀に及ぶモンゴル帝国の支配を脱したモスクワ大公国です。
 

自分たちは西欧人だ

 第一のルーツであるノブゴロド国は、ロシア人に「自分たちは西欧人だ」という意識を持たせてきました。金髪に青い目のノルマン人はゲルマン人の一派で、北欧三国(デンマークノルウェースウェーデン)やイギリス、南イタリアに移民し住みついた民族です。ロシアは西欧人からは「遅れた国」「異質な大国」という視線で見られてきたのですが、ロシア人自身は「西欧人と根は同じ」と認識してきた訳です。

 

言語や宗派の違いが「よそ者」感を生む

 第二のルーツは、ロシアが西欧と対決モードになったときに、アイデンティティーとなって現れます。スラヴ人は、中欧と東欧に多い民族です。インド・ヨーロッパ語族の一派なのでヨーロッパ人ではありますが、西欧に多いゲルマン人やラテン人とは言語の系統が違います。宗教もキリスト教ではありますが、西欧がカトリックプロテスタントなのに対して、スラヴ人に多いのは東方正教です。同じヨーロッパ語族でありキリスト教徒なのですが、対立モードになったときは、言語や宗派の差異で相手を「よそ者」と認識するスイッチが入るのです。

 

西欧意識とスラヴ意識

 この第一と第二のアイデンティティー、すなわち「西欧だ」という意識と「スラヴだ」という意識は、近代以降のロシアで拮抗してきました。「西欧に仲間入りしたい」と思うときは第一の顔が現れ、「西欧に圧迫されている」と思うときは第二のアイデンティティーが発現します。近年では、ゴルバチョフエリツィンが「西欧派」であったのに対し、プーチンは「スラヴ派」モードです。
 第一の顔も第二の顔も、「ロシアはヨーロッパ」が前提の話です。実際、ロシアの人口はウラル山脈以西に集中しているので、国策の重点はヨーロッパ寄りになります。しかしウラル以東のロシア領は広大ですし、天然資源も豊富なのでなおざりにはできません。

 

遊牧民系の末裔

 ここで第三の顔が現れます。モスクワ大公国キリスト教世界に向かっては、ビザンツ帝国の後継者である面を強調していました。しかし実態は、13世紀にユーラシアを席巻したモンゴル帝国の遺産も引き継いでいたのです。モンゴル系遊牧民の残党は騎兵集団「コサック」に加わり、モスクワ大公国(後にロシア帝国)の領土を世界最大の帝国に拡張する上で、大きな役割を果たしました。
 そのような「遊牧民系の末裔」は現在、中央アジアに多く居住しています。カザフスタンウズベキスタンなど中央アジア諸国がロシア寄りなのは、ソ連時代の統制のせいだけではなく、隣人として長く関わってきた歴史の反映なのです。

 

ロシアはイギリスに封じ込められてきた

 ロシアは、ヨーロッパから見れば東の辺境にある国です。しかしピョートル大帝が西欧化改革を行い、北欧の大国スウェーデンを破ってバルト海への出口を確保、南でもオスマン帝国と戦って黒海へアクセスできるよう領土を広げていきました。刻々と領土を広げ、それに伴って人口も増していくロシアが、海への出口も固め始めた訳です。西欧の列強は警戒感を強めました。このときロシア封じ込めを至上命題としたのが、シーパワー(島国、海洋国家で海上貿易に依存し、海軍中心の国家)としてしか生き残れないイギリスです。
 

ロシアとイギリスとのグレートゲーム

 こうして19世紀以降、ロシアとイギリスはユーラシア全域において、「グレートゲーム」と呼ばれる陣取り合戦を繰り広げることとなりました。ロシアは一貫して不凍港と海への出口を求めます。イギリスは、その行く手、行く手を阻むのです。
 この構図は20世紀にも形を変えて引き継がれました。ロシア帝国では革命が起きてソ連になり、イギリスは衰退してアメリカと手を組んだのです。さらにソ連はその後崩壊してロシア連邦になりましたが、「ランドパワー・ロシアの海への進出をシーパワーが封じ込めようとする」構図はいまも変わっていません。

 

マンガでわかる地政学 (池田書店のマンガでわかるシリーズ)

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