きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

ロシア料理の名店「スンガリー」60周年

 

ロシア料理がこんなに美味しいとは知らなかった
東京で食べられる唯一のお店が60周年
その歴史を見てみよう

 

 

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本格的なロシア料理店

 2017年に60周年を迎えた、歌舞伎町の老舗ロシア料理店「スンガリー」。歌舞伎町に店舗を移転したのは1960年。それ以来ここで営業し、現在は新宿に2軒の店舗を構える。
 本格的なロシア料理を堪能でき、文化人・著名人が訪れて知的な会話を交わし、ロシア人客も多く訪れる店として長い間親しまれてきた。そんな名店スンガリーは「百万本のバラ」を歌った、歌手の加藤登紀子さんがオーナーを務めるお店でもある。初めて来店されるお客様から「ロシア料理がこんなに美味しいとは知らなかった」と言われるという。

 

ハルビン移住から始まった

 スンガリーの歴史は、オーナー加藤登紀子さんのご両親が1935年、日本から旧満州ハルビンへと移住したことから始まった。1943年に加藤登紀子さんはハルビンで生まれる。当時のハルビンはロシア人が多く住み、加藤家もロシア人の住居に間借りしていた。ハルビンに住む日本人とロシア人の仲は親密で治安も良く、インフラも整った人気の街だった。

 

ハルビンを流れる川、スンガリ

 ご両親は、1946年に日本に帰国した後もロシアに対する郷愁の想いや、満州から日本に引き揚げてきたロシア人たちに安定した職場を提供したいという目的もあり、1957年東京新橋にロシア料理店「スンガリー」をオープンする。店名はハルビンを流れる川の名である「スンガリー(松花江)」から名付けた。以後ロシア人スタッフとともに、日本で本格的なロシア料理を提供する老舗店舗としての歴史をスタートさせた。1958年に京橋、そして1960年に新宿歌舞伎町に移転、1967年には新宿西口店をオープン、1972年には京都にキエフ京都店がオープンしている。

 

 

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亀山郁夫ロシア文学者・東京外国語大学名誉教授)

あの東口の地下のほの暗い空間に漂う不思議な雰囲気こそが、母なる湿潤の大地そのもののぬくもりではないか。私の活動拠点は名古屋に移ったが、それでも3か月に一度はそのぬくもりを求めて東口に出る。

 

佐藤 優(作家・元外交官)

スンガリーはウラル風だ。エリツィン元大統領の大好物がペリメニだった。ペリメニソ連時代に人気があったウオトカ「ストリチナヤ」を飲む。こういう風にして、私はスンガリーで至福のときを過している。

 

松本零士(漫画家)

あれは18か19歳の時だったか、上京当日のその日の夜、新宿コマ劇場の裏に編集部が連れて行ってくれたのが、その名も懐かしい「スンガリー」。そういう大人の行く場所の体験はこれが生まれて初めてのことでした。

 

加藤登紀子(歌手・オーナー)

このスンガリーには、日本に流れ着いたロシア人たちが毎晩集まり、閉店後に歌ったり踊ったり楽しんでいました。そんななかで、コック長のクセーニヤの長男ビーチャが御茶ノ水ニコライ堂で結婚式を挙げたのです。ウェディングドレスの花嫁を抱き上げて踊るビーチャ。「ゴーリコ! ゴーリコ!(苦しい、苦しい)」と囃し立てられながら、花嫁花婿だけじゃないすべてのカップル達がウオッカを乾杯! その果てしない素晴らしい宴会の一部始終、それが私の歌手としての原点といってもいいかもしれません。

 

 

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ボルシチ

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フレッシュサーモンマリネのブリヌイパンケーキ包み

 

ロシア料理「スンガリー」ホームページ
Russian Restaurant Sungari

 歌舞伎町文化新聞
https://kabukicho-culture-press.jp/all/spot/877

 *上記は「歌舞伎町文化新聞」や「スンガリー60年史」からの抜粋です。

 

松花江(スンガリー)を越えて 少年の見た満洲引き揚げの記録〈1945~46〉

松花江(スンガリー)を越えて 少年の見た満洲引き揚げの記録〈1945~46〉

 

 

 

 

 

 

 

 

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